Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

10/8~10/14

日記

10月8日

15:00
窯焚き
18:00



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10月9日

15:00 FUSE 打合せ
16:30 FUSE インタビュー


10月10日

窯焚き 泊り
19:00から



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燃え残りがたくさんあった。
炭状になった薪はよく燃える


籾殻をつかって表面を炭化させた湯呑み

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27:00

10月11日

窯焚き
8:30から


14:00
熱中症?酸欠?
倒れた。1時間仮眠

15:30 帰宅

16:30から
森の湯
堤君と

10月12日

日誌作成

9:30 朝食

10:00 会議
12:00 昼寝
15:00 買い物
100均で4個入りのスポンジを購入
やはりスポンジは汚れがたまりやすいので1週間に1回くらいは替えたい。

建築模型の作成



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10月13日

9:30からカインズホームへ、部材、機材の下見
日誌、報告書作成

12:00
焼却処分場往復



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15:00 味噌ラーメン

焼却処分場往復
17:00
軽トラ返却

お風呂掃除。
カインズホームで購入した柄がついているブラシが便利だった。
ハイター便利。ピカピカになった。

10月14日

森町茶文化工房交流カフェ



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神奈川大学4年生の男の子が「お茶と経営」について論文を書いているとのことで、話を聞きに来た。
しばらく暑かったこともあり、これ無かったおばあちゃんたちが来店。

最近思っていること

筋トレ

・筋トレは習慣になってきた。隙間の時間で15分くらいやっている。ケトルベルスイング、腕立て伏せ、ダンベル、スクワット、懸垂など。
・習慣にすると、エスカレーターに乗っているように、日々、自動的に成長することができる。
・人の世話をするために、自分の時間が限られてくるので、効率よく自分のやることをこなす必要がある。
・自重トレーニングは負荷が軽いため、筋肉に効かせようと思うと回数を増やさないといけなくなる。時間がかかるのでアイテムを使ったほうがいい。自重トレーニングは時間が余っている人向けかもしれない。
・8月からはじめて2か月とすこし、1日のうちのトレーニング時間が10分程度から30分程度に伸びた。成長を感じる

料理

サッポロ一番の味噌ラーメン。肉野菜炒めを大きなフライパンで作って、お湯を注いでスープをつくって麺をそれで煮込むとめちゃうまい。
・30分チキン、フライパンに塩コショウをした鶏もも肉を置いて放置しておくだけでできるから、その間に他の料理を作ることができて使い勝手がいい。鶏の脂はおいしいので、トマトとパプリカの刻んだものを投入して水分を飛ばすとソースになるし、それを余らせてお湯とコンソメを入れるとおいしいスープになる。
・土鍋で炊いたご飯は保温の必要がなく、米がやわらかいままなので電子レンジで再加熱することなく食べることができる。冷めてるからお茶漬けにしたほうがいいけど。

掃除

・毎日少しずつ掃除をしないと、汚れてからだと手間が増える。
・二人で生活していると、髪の毛も落ちる量が増えるし、こまめに掃除機かけたほうがいい。
・キッチンのシンクと風呂はハイターを週1回くらいでやりたい。水回りが汚いと気分が落ちる

効率化

・今まで、忙しくなることを好ましく思ってこなかったため、のんびりと時間を過ごしてきたけれど、建築の仕事量や進めるペースを横で見ていると、現代性を強く感じる。
・湯船には入らずにシャワーでいい。食事はインスタントラーメンで5分で終わらせる。コンビニでカップラーメンやブリトーを買ってストックしておく。運動や座禅はしないなど。1週間もその生活を続けると、栄養は偏るし、体温も下がりやすいし、2週間目にはかなり疲労がたまっていることがわかる。
・料理を覚えるのには時間がかかるし、湯船を溜めたり風呂を洗ったりするのも時間がかかる。運動も「余分な時間」だと思われがちである。
・しかし、料理をすることは栄養バランスだけでなく、心の栄養にもなるし、湯船に入ることは疲労の回復にもなる。運動も結果的には酸素が巡ることで疲労回復になる。
・めちゃめちゃ仕事を頑張っている人(しかも私のプロジェクトのため)を尻目に、もっと休んだほうがいいといういい方はしづらいが、優秀な人にはどんどん仕事が回ってきて、休む時間も取れずに身体を壊してしまうケースはこうして起こるのだとよく分かった。
・彼がバイトしていた事務所では半分の人間が鬱になるそうだ
・仕事中心の生活、効率化重視の生活は、身体の適度なメンテナンスができない

10/1~10/7

日記

 

10/1

芝浦工大建築学生が合宿をしに来てくれた。今日から10/30までの1ヶ月間滞在する。

 

以前からすすめていた部屋の掃除や片付けも順調に進み、受け入れ体制が間に合った。

 

10/2

朝は7:30に起床し、ストレッチ、ジョギング、筋トレで9:00頃になる。


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朝食を作って一緒に食べる。

トースト、ベーコンエッグ。

 

11:00

今度出店する予定の仕事のため、資料づくり。

 

15:00

お茶屋さんが、リノベの様子を見に来てくれた。ちょっと工事費も進捗も色々とやばすぎるということで、信頼できる大工さんを紹介してくれることになった。

 

夜は蕎麦


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片付けなどについて

 

夜、ガスコンロの掃除、洗い物、洗面台掃除をした。

そうじのチェックシートを作ったほうがいいかも


トイレ掃除
ウタマロクリーナーをつかう
分厚いそうじシートをつかう
・便器は拭いたか
・便器のなかはこすったか
・床は拭いたか


ガスコンロ
ウタマロクリーナーをつかう
分厚いそうじシートをつかう
・ガス台の上は拭いたか
・スイッチのあたりは拭いたか
・魚焼き用グリルのなかは洗ったか


洗面台
ウタマロクリーナーをつかう
分厚いそうじシートをつかう
・蛇口は磨いたか
・洗面器は拭いたか
・鏡は磨いたか


風呂場
柄がついてるブラシをつかう
シャワー浴びるたびにどこかしらを磨く
・上部壁四方(1面ずつ)
・床


キッチン
ウタマロクリーナー
ハイター
スポンジ(100均4個入り)
・調理台、スポンジで洗う
・シンク、スポンジで洗う
・ハイター

 

10/3

7:30起床。起き抜けに前夜から作っておいた水出し麦茶とサラダチキン。

ストレッチ、ジョギング、筋トレ。プロテイン


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9:00朝食。ナスとパンのミートソースグラタン。

 

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10:30~

午前、草刈り。

 

13:00

お茶屋さん再訪。

大工さん下見。

 

16:00

陶芸家さんのところへ。

窯詰め手伝い。


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18:00終了

 

夕食、肉野菜炒め。

 

ミーティング。スケジュール調整など。

 

座禅。

23:30就寝

 

10/4

7:30起床。麦茶、サラダチキン、マンゴープリン。

ストレッチ、ジョギング、筋トレ。

 

卵雑炊


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建築話。

 

・世界的に見てもそうだが日本の建築は20世紀以降とくに芸術性が廃されているところがある(?)

・ヨーロッパ建築は機能性よりも芸術性を優先していた歴史があるが、近代現代は機能性合理性が優位になっている。(それでも日本よりは芸術的な建物への理解や需要がある)

・日本の建築において芸術性が高いとされているのは神社仏閣の建築(広義の宗教建築)

・日本は地震大国がゆえに建物も永続性を持たせることができないため、壊れやすい(松岡正剛的に言うと、フラジャイルな)建築が建てられている歴史である

・日本の城の建築材には、兵糧攻めの時の予備食料として壁の中に芋のつるが使われていて、最悪の事態の時には芋のつるを煮て食べることもできるようになっていた

・日本の建築は西洋建築に侵されて、縁側的などちらともいえない曖昧な空間がなくなってしまった。(それはよくないことだと言っている)

 

11:00

シェアハウス見学へ

 

お昼 唐揚げ定食


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社長の別荘的な建物を3000万円で購入し、1500万円で改装したとのこと。家賃38000円から。現在7部屋満室。

 

餃子を買って帰宅。

 

ミーティング。

 

座禅

23:30就寝

 

10/5

7:30起床。マンゴープリン、麦茶。

ストレッチ、ジョギング、筋トレ

9:00


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納豆卵ご飯

 

12:00

FUSEミーティング。

イベントミーティング

 

お茶のガチャガチャを作りたい。

ピタゴラスイッチを作りたい。

 

肉豆腐定食

 

Twitter bot追加

 

18:00

陶芸家さん手伝いへ


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10/6

 

6:00から作業

 

卵かけご飯(生ハムのせ)


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体が結構しんどい

 

10/7

8:30起床

マンゴープリン

カフェ準備

 

森町茶文化工房交流カフェ


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1週間感想

・二人暮らしは洗濯が大変。乾燥機付き洗濯機は神。

・料理は、お互いの好みの味がちがうとストレスがたまる。ヘルシーとジャンクのバランス。

・家の中で別の人が仕事を頑張っていると、自分も頑張れる

・ズボンにティッシュが入ったまま洗濯に出されて気づかずに洗濯してしまうと、自分でも驚くぐらいイラつく

・ゴミ、当たり前だけど倍くらいのスピードで出る。

・米、倍の速度で消費する

・相手に気を使わずに自分の睡眠時間は確保したほうがいい

・疲れを取るためにも適度に湯船は入れるべき

・暇があったらではなく、優先的に座禅の時間を取ることで、脳と心を休める時間を取るべき。

・暇があったらではなく、優先的にジョギングはするべき。(ジョギングをすることでジョギング後の回復力が高まる)

 

 

「走ること」は自分がただ住む町を自分にとってかけがえのない町にする。

 

10月 ジョギング再開

10月 しばらく走っていなかったのだけれど、また走り始めた。

 

昨日から1か月間、人が泊まっているので自分の時間をつくることが難しくなりそうで、朝に走ることにした。

 

2時半に寝て7時半に起きた。

 

5分間の座禅、懸垂機へのぶら下がりを30秒して、水出ししていた麦茶を飲んでから走った。

 

7:50~8:18

4.62㎞


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例の通りミッドフット走法で走った。ふくらはぎもふとももも、以前よりも楽だった。

 

道中には柿がもうすぐ食べごろになりそうなたたずまいで木に実っていた。

 

柿若葉だった初夏が懐かしい。

 

周りの景色を味わう

こうして日々同じルートを走っていると、季節によって違う風景があることに敏感になれる。

 

ジョギングの友、『THE INNER RUNNER 博士が教える』で素敵な言葉を見つけたのでそのまま引用したい。

 

スローランニングは、周りの景色を楽しみ、自分のいる場所について学ぶチャンスを与えてくれる。

 

自分が暮らしている場所のことを本当に知っている人間が、どれくらいいるだろう?

 

ランニングは、車では行けないところへ連れて行ってくれる。ゆっくり走ると、周りの環境をつぶさに探索できる。木々に目を向け、鳥の声を聞き、香りを楽しめる。そうすることで今まで目に留めもしなかった、いろんなことに気づけるだろう。仲間と話したり、笑い合ったりもできる。

 

 そういえば、自転車でなく自動車でなく、徒歩あるいは走りの速度で町を眺めることは、速度によってカットされ、忘れられてしまう風景を再発見する行為であるという話は、民俗学に通じるところがあるとふと思い出した。

 

柳田国男は新幹線に乗ることを嫌っていた。

 

なんの著作だったか忘れてしまったのでまた見つけたら書きたいのだけれど、「速度」と「景色」は大いに関係があるというのは、子どものころ走っても走っても自分の町から出ることができなかったのに、高校生になって電車に乗るとなんだか自分の生まれ育った町がちっぽけに思えたこととよく似ている。

 

歩かないと気付かない裏路地や、猫のたまり場。落ち葉の船が流れていく小川。

ガラスの破片が落ちている小道。変な絵が描いてあるマンホール。シーサーが置いてある門。ひときわ大きな鬼瓦の屋根。

 

不思議な景色は、歩く速度で発見することができる。

 

走り始めてから3か月。もうそろそろ合計で100㎞になる。体力がついてきて、景色を味わう余裕が出てきたのだろう。

 

愛着、というものを考えると、どれだけ知っているか、ということが大事だと思う。

 

好きな人のことも、自分だけしか知らない側面を知っていくことで、かけがえのない人になっていくと思う。

 

『星の王子様』のキツネはやはりいいことを言うな、とあらためて思うものである。

 

「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ」

 

走ることは、町に時間を費やすということなのかもしれない。

 

なぜなら、こんなにも、かけがえのない町だという気持ちになってきたから。

 

参考文献

 

 

日記。仕事の依頼が入った。同居生活がはじまった。

 

日記

 

仕事の依頼をもらった

今日は仕事の依頼が2件入った。

11月にシェフが作る料理とお茶をペアリングしてサーブする仕事と、来年の8月に図書館でやるお茶講座の仕事。

 

デザイナーがよく、「友達価格で」とか「無料でやって」と言われるのと同じように、茶人もほぼタダで声をかけられることはあって、これは個人事業主が全員乗り越える壁として存在する。

 

今回はきちんと謝礼を提示してくれているのでありがたい。

 

以前にした仕事の評判が良くて再度声をかけられたパターンと、前から仕事をお願いしたいと思っていたというパターンだった。

 

ありがたい。

 

過去の仕事が新しい仕事を呼んでくれる。

 

ひとつひとつ頑張ろうと今まで以上に思った。

 

同居生活がはじまった

 

今日から、建築科の学生が宿泊して、リノベの設計作業や現場の工事作業に入ってくれる。

 

1ヶ月の滞在。ありがたい。

 

24:00に掛川駅に迎えに行った。

 

梅酒で乾杯をし、茶のタバコを一緒に吸って、なぜ建築を学びはじめたのか聞いたり、なぜお茶をやっているのかを話したりした。

 

彼は高校2年生のときにマインクラフトをしたのがきっかけで、モノづくりがしたいと思い、建築を学ぶことにしたと言っていた。

 

日本の建築業界の低賃金問題や、働き手不足の話を聞いた。

 

好きなことをやれているだけ、楽しいから低賃金でもいいかもしれないという結論は一つある。

 

妥協の上での現状の肯定でしかないけれど。

 

このプロジェクトもたくさんの人の無償の手伝いによって成り立っているし。

 

自分が茶畑の手伝いをした時なども、「経験させてもらえるだけありがたい」と思ってバイト代をもらわなかったこともある。

 

バイト代を支払わないことを良しとするのは間違いだけれど、お金ではない価値のために働くということも同時に否定できることではない。

 

ロボティクスの発達、AIの実用化、エネルギーコストのゼロ化、そしてベーシックインカムの採用、これらはもう「いつそうなるか」の問題だけれども。

 

働く必要がなくなってしまった世界がやってきたとき、人はなんのために働くのだろうか。そういうことを考えながら生きていかなければいけない時代だとも思う。

 

シンギュラリティは2045年に起こると話題になっていたが、加速していたりしないだろうか。気になる。

 

月がきれいだった

2020/10/01

十五夜だった。

一人月見をした。

 

ウチカフェの濃厚チョコレートバーがおいしかった。


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まずは居場所を侵略するものを最大限処分する。『シンプルに生きる』を実践していく

 

 

必要ではないモノたちを減らしたい

最近は断捨離をしている。

 

とは言っても、劇的な変化はまだなく、徐々に捨てられるものから捨てているだけなのだけれど。

 

東京にいたときは6畳の部屋に住んでいたこともあって、無駄な買い物をしなかったし、所有物のスペースは限られていて、置いておくこともできなかった。

 

静岡に住んでから、一軒家で暮らしているため、なんだかモノが増えてきた。

 

なにが増えているのか分からない感じでごちゃごちゃしている。

 

仕事の道具は間違いなく必要で、生活の道具も必要だ。

 

だけど、ほかの必要ではないモノたちがなんだか多くなってきた。

 

今、シェアハウスをつくるプロジェクトをしていて、自分のプライベートスペースはかなり狭めることにした。

 

シェア本棚をつくるし、食器も共用にするつもりなので、本や食器は処分しなくていいのだけれど、それ以外のモノをとにかく減らしたい。

 

最近捨てていたものはこんな感じ

 

ビン、缶、空いたペットボトル

また今度捨てようと思って捨て忘れることで溜まっていく。溜まりすぎるともしかしたらこれでアート作品を作れるんじゃないか?と思って逆に溜めたくなってきたりする。絶対に作らないのに。すぐに捨てる癖が必要。


汚れた枕を長期間使用し続けると頭皮のニキビや抜け毛、頭皮湿疹などの頭皮トラブルを引き起こす恐れがある。
洗濯はしていたけれど、何年も使っていたので捨てた。とりあえずはなくても寝心地は変わらない。

布団も、寝袋でいいかもしれないと思ってきている。


タオル

手ぬぐいの話のときにも書いたのだけど、乾きにくいし、かさばるし、日常では使わないことにした。古くなっていたのは雑巾にして床を拭いてから捨てた。
割れ物を包んだりする時がわりと頻繁にあるので、まとめて箱に入れて仕事用にとっておいた分は残した。


食べるかもと思ってとっておいたレトルト食品やお菓子

賞味期限が切れていた。ミートソース、せんべい、ビーフジャーキー、ガム、飴、海苔、塩昆布、スープのもとなど。
これからはなるべく、1ヶ月以内に食べるもの以外は買わないようにする。


3Dペン

前に購入したけれど3回しか使わなかった。


パンフレット

いつか行きたいと思って取っておいたパンフレット、いつか買いたいと思って取っておいたパンフレット。
参考になるかもと言われて渡されたパンフレット。
また見たくなりそうなものは写真にとって捨てた。まだ捨てられるものがある。
なるべく紙のものはデータにして、所有しないようにしたい。


ヘインズのTシャツ以外のTシャツはすべて捨てた。
ユニクロヒートテックやエアリズムも捨てた。化学繊維の影響で乾燥肌になってしまうから。
ズボンも、ジーンズ3本と、ジョギングウェアと冬の部屋着のボアスウェットを残して捨てた。


ノート

今までなにか色々書いていたノート。
嵩張るので捨てた。見返すと色々とおもしろいけれど、見返す機会もほとんどないので捨てることにした。
茶人を目指すことにしたときに調べたいろいろなことが書いてあった。

 


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 本

捨ててはいないけれど、メルカリで売って処分した。

23冊、13000円くらいになった。

 



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シンプルに生きる

フランスのエッセイスト、ドミニック・ローホーの著作、『シンプルに生きる』を読んでいる。

 

そこにはこう書いてあった

 

まずは居場所を侵略するものを最大限処分します。

すると、「処分しなければ」という重荷はなくなります。

決断は直観的になり、装いはずっとエレガントになるでしょう。

住まいはより快適になり、手帳の予定や約束も減ってきます、

良識がよみがえり、あなたは人生をより明晰に見通すことができるようになるでしょう。

 

 

私からのアドバイス

持ち物をリストアップしてみてください。

あなたの身辺整理の手助けになります。

 

手帳の予定や約束はもともと埋まっていないような生活を送っているので心配はないし、今の生活を不便だと思っているわけではないのだけれど。

 

思考も、持ち物も、ごちゃごちゃした生き方には飽きてきた感覚がある。

 

大好きな本だって、新陳代謝をさせていくことを今やっている。

 

自分にとって本当に価値のあった本が自然と残っていくことで、そうでなかったたくさんの本が無意味なインテリアになっていたことに気付く。

 

自分の価値観も明確になってきた実感もあるし。

人生をより明晰に見渡すことができるというのはこういうことなのかもしれない。

 

みんな大好き『星の王子様』で、王子様はキツネにこう言われる。

 

「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」

 

そしてキツネは続ける。

 

「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ」

 

本も、一冊の本を何度も何度も読んで、自分の考えの一部として使うことで、ほんとうにたいせつなものになっていくし

 

生活も、何度も自分の持ち物やルーティンを見直すことで、ほんとうにたいせつなもの、になっていくのだろう

 

参考文献

 

「質」より「量」をやるべきだと教えてくれた『複利で伸びる一つの習慣』に出てくるエピソード。

良いやり方を探してしまう

新しく何かを始めるときに生まれる悩み事のひとつは「どうやったらいいのだろう」である。

今まさしく、僕自身が、ブログを書いて、筋トレをして、断捨離(モノを捨てているだけ)を習慣化しようとしている真っただ中において不安になっている。

たとえば文章力なら、どういう文章がうまい文章なのか、どうしたら人に読ませられる文章が書けるのか、きれいな文章はどの本から学ぶことができるか。

日々、自分の拙い文章に向き合いながら「書きたくなさ」と向き合っている。

筋トレも、YouTubeのマッチョたちが120キロのバーベルを持ち上げる様子を眺めたあとに自分の身体の貧弱さを見ると、もう筋トレは諦めたほうがいいんじゃないかと思ってくる。

まだ27歳と言われるかもしれないが、もう27歳だ。

誰だって今日という日が一番若い、と同時に、今日という日が一番年老いている、のだから。


断捨離は、もう、意地だ。

これに関しては引っ越しを半年後には遅くともする必要があって、なかば義務的に習慣づけている。

具体的に言うと、毎日なにかしらの今まで捨てられなかったものを捨てている。あるいは使っている。

結局食べなかったレトルトのミートソースを使って、結局使わなかった書類ケースを捨てて、もうずいぶん長いこと使っていた枕も捨てた。

本は先月で23冊メルカリで売った。13000円ほどの利益になった。

写真のクラスでおこなった「量」か「質」かどちらを目的にしたチームが「質」が良くなるかの実験

複利で伸びる一つの習慣』でこんなエピソードが紹介されていた。

授業の初日、フロリダ大学のジュリー・ユルズマン教授は、写真のクラスの学生をふたつのグループに分けた。

教室の左側の学生は全員「量」のグループだと彼は説明した。このグループの学生は作った作品の量だけで採点される。授業の最終日に、各学生が提出した写真の枚数を総計する。100枚なら評価はA、90枚ならB、80枚ならC、という具合だ。

一方、教室の右側の学生はみな「質」のグループになる。彼らは作品の出来栄えだけで採点される。学期中に制作する作品は一枚だけでもいいが、Aをとるにはほぼ完ぺきな作品でなければならない。

学期が終わると、教授が驚いたことに、素晴らしい写真はすべて「量」グループの作品だった。

学期中、このグループの学生たちは、写真を撮ったり、合成や光の工夫をしてみたり、暗室で様々な手法を試したり、失敗から学んだりと、とても忙しかった。何百枚もの写真を作成する中で技術を磨いていった。

その間、質グループはただすわって、完ぺきさについて考えていた。そして結局、努力を示せるものはほとんどなく、信憑性のない理論と平凡な写真ができただけだった。

この実験について、『複利で伸びる一つの習慣』の著者、ジェームズ・クリアーはこう結論付けている。

習慣を身に着けたいなら、大事なのは完ぺきを求めることではなく、繰り返しから始めることだ。新しい習慣について、あれこれと未来の計画を立てる必要はない。必要は、実行することだけだ。これが第三の法則の最初のポイントである。

ノウハウコレクターにならない

どこにでもいるものだけれど、ノウハウコレクターという存在がいる。

大学の受験勉強をするとき、やたら「勉強法」や「予備校講師の情報」、「参考書の良しあし」に詳しい人。
オープンキャンパスにも何度も行っていたりして、その学校にはどんな教授がいるかとか、文化祭でどんな出店があったかを知っていたりもする。

結論的には、どんなに「いい勉強法を知っているか」ではなく、毎日100個ずつ英単語を覚えたかどうか、がその大学に行けるかを決めるものだ。

良い文章を書ける人は、結果的には人の良い文章をよく研究している。

マッチョな人は、結果的には筋肉の部位ごとのベストな鍛え方や、プロテインを飲むベストなタイミングや食事の栄養バランスを知っている。

ミニマリズムな生活をする人は、買わないほうがいいものや、買ってよかったものを知っている。

しかし結局、自分が「それをする人」になりたいなら、やることはただ一つ。

「やるだけ」なのだ。

情報発信をしていたら新聞の取材を受けた。そして考えたこと。


日記。

今日は日経新聞の取材を受けた。

以前に「コロナで地方移住は進むのか問題」について静岡県西部地域局の方々とオンライン座談会をしていた時に、それを本部の現場で視聴していた新聞記者の方が「神﨑さんの生き方がおもしろい」ということで取材をしてくれた。

まだ、実際に掲載されるかは分からないのだけれど、新聞記者のかたは年齢は自分より2つ上で、物腰もやわらかく、聞き上手で丁寧な人だった。

なにを話せばいいか分からないまま、脱線しているのかどうかも分からないまま話していたら結局2時間半くらいも話し込んでしまった。

いくつか思ったことがある。

1、やはり情報発信は利益につながる。(人に会うのもふくめて)
2、日ごろから、考えていることは言語化しておく習慣をつけておいたほうがいい
3、一番むずかしいこと、それでいて価値があることは「続けていくこと」だ

1、やはり情報発信は利益につながる。(人に会うのもふくめて)

そもそも座談会に呼んでいただいたのも、移住相談員のかたに情報をシェアしていたことがきっかけだ。

移住相談員として活動している人、Mさんにたまたま仕事の交流会で出会い、茶人としての活動や、自分のできること、やりたいことなどを雑談のなかでいろいろ話させてもらったときに「じゃあ、Aさんに会いに行ったほうがいいよ」と言われたことがある。すぐに会いに行った。Mさんのアドバイスどおり、会ってよかった。Aさんからイベントで茶を点てる仕事をもらったからだ。

Aさんはひな祭りのイベントの主宰をしていて、寺を使った和風のパフォーマンスをできる人を探していたところでちょうどよかった!と喜んでくれた。30名ほどに計4回ほどお茶を点てる様子を見せるパフォーマンスイベントをおこなった。



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Aさんとはその後も何度もやりとりしているし、AさんはMさんに「神﨑君を紹介してくれてありがとう」と伝えてくれていた。

Mさんからの心象もよく、その後も何度も自分のことをいろいろな人に紹介してくれているらしい。座談会もMさんの推薦だった。

「得になるから」という理由だけで立ち回るのはいやらしい。そしてその腹黒さは必ず見破られる。だからフラットに人に会ったほうがいいし、書いたほうがいい。

しかし、人に会うこと、自分をPRすることはたしかに確実に自分の利益につながるのだ。

会いに行くのが一番大事だと思っているけれど、今の時代はinstagramでもお客さんが来てくれたり、仕事の依頼をしてくれたりする場合がある。

Twitterはなぜかほとんどない。Twitterのほうが頑張っているのに、Twitterを見てあなたに仕事を頼みたいと思ったということは今までほとんどなかった。ブログもそんなに仕事にはつながっていない。instaが一番大事かもしれない。写真だけでも十分に情報があるし、「こういうことができるんだ!」とイメージつきやすいからかもしれない。

情報発信は大事、と言われているけれど、まだまだ使いこなす余地があるなと思う一連の出来事だった。

ストック型の情報は、極端に言えば、寝ている間も営業をしてくれるので、絶対にやったほうがいいと思った。とくに個人事業主で営業が苦手だったり営業まわりの時間がとりにくい人はなおさら。

2、日ごろから、考えていることは言語化しておく習慣をつけておいたほうがいい

今日は新聞記者のかたが気持ちよく話させてくれたので、グダグダと言語化できていないこともその場で考えながら話してしまって、楽しそうに聞いてくれたからよかったのだけれど、大事なことは本当はシンプルなはずで、スパッと言えるように言語化する訓練をしておきたいと思った。

そもそも2時間半も話したことが新聞の1000文字の欄にまとめられるはずはないし、読んだ人も2時間半分の情報量を摂取できるわけではないので、この2時間半は「たのしくおしゃべりしただけ」になってしまう。それはそれでいいのだけれど。

シンプルに簡潔に、しかしオリジナリティのある言葉で伝えられるようになりたいと思った。

経験上、何度も繰り返し、人に説明しようとしたことは、言葉やたとえが研ぎ澄まされていく。

初めて説明することは言葉選びが適切でないし、自分でもしっくりこない感じがある。

日記に書くのもいいのだろうけれど、人に理解してもらうつもりで書く、話すということが重要なのだと思う。人の目を意識することで、言葉選びがシンプルになっていく。

最近はブログを書く時に見出しを付けるようにしたのだけれど、見出しをつけると「自分は何を言いたいのか」がハッキリするので自分のためにもいいことがわかった。

「なにを言いたいのか自分でもわかっていないこと」は「他人ならなおさら分からない」のだ。

3、一番むずかしいこと、それでいて価値があることは「続けていくこと」だ

今まで、単発のイベントは何度もやってきたのだけれど、今は地域で毎週水曜日に交流カフェを運営している。全然だれも来ないで本を読んでいるだけのような日もあるし、1日中満席で、入りきらずに断ってしまうような時もある。

「地域おこし協力隊としての2年間でどんな成果をあげたと思いますか」と聞かれたとき、「成果」とは「過去形」だな、と思った。

つまり、交流カフェであれば「累計で500人来ました」のようなことになるのかもしれないし、「シェアハウスをつくりました」ということになるのかもしれない。それはそれで大事な成果物だ。

ただ、「成果」は他人に「認知してもらいやすくする」ためには必要かもしれないけれど、現実は、「来週も交流カフェを開催する」ことが大事なのだと思った。そしてそれを続けていくこと。

累計人数には還元されない価値が「継続」のなかにある。これはまだぜんぜんうまく言えないのだけれど。

昔は嫁の立場も弱くて子の運動会の時とか授業参観のような時しか家から自由に出られなくてね、とイキイキした顔で話すおばあちゃんとか、キョウリュウジャーの音楽を聴いて踊り出す3歳の少女と一緒に踊る学生たちやそれを見てなごむ大人たちとか。

大きな価値では決してない、けれどたしかにある、ぬるま湯のような幸福感に満ちた時間が本当の価値だと思う。

いつの日か、食べ物が喉を通らないくらいつらいことがあったとき、寂しい気持ちで布団から出られなくなったとき、そんな時に、たしかにあった思い出は、背中を撫でてくれることだろうと思う。今はなんともない、ただの日常の一コマだとしても。

新聞記者のかたの質問の意図はまったく成果主義的なニュアンスではなかったけれど、ビジネスというのは「成果」を求められるものだ、否、成果を出すために逆算して組み立てていくことだ。

ただ、地域活性化という点で見たら、そんな宝物になるような日々をどれだけ多くの人と数えられたか、が大事なのだ、と思う。

先日に書いた「目標がないときつい」というのとは矛盾するけれど、「成果をつくること」と「成果にこだわらないこと」のバランスは大事だ。自分の中で整理しておくことが。とくに。