人とのコミュニケーションで疲れてしまった時にしたらいいこと
こんにちは、神崎です。
私は抹茶を点てることを仕事にしているのですが、お茶を点てること、人に飲んでもらうことに対する没入感が深いといいますか、距離感が近いといいますか、これは誰でもある程度そなわっている感覚だと思うのですが、人と濃密なコミュニケーションをとったあと、良い気も悪い気も受けてしまうもので、かなり疲労感がありますよね。
私はイベントごとで人前に出た日、その次の日は熱っぽくなり、体もだるく、動くことができずに布団の上で死んだように眠ってしまいます。
眠っているだけで回復すればまったく問題ないのですが、そうはいかず、なにかの対症療法を行わなければ復帰できずに異界から帰ってこれないような気持になります。
そんな時、自分なりのメンタル病み期脱出の方法がいくつかありますので紹介しようと思います。
病んでるなーと思う
今、自分は病んでいるんだと客観視してみます。大体の人間は常に元気とか常に落ち込んでいるとかではなく、メンタルの波があるように思います。心電図のように、今は上がっている時期だなとか、落ちてきているなとか、自分で感じるはずです。病んでる時というのはこの波が下の方に向かっていっている、もしくは最低のあたりでピークを迎えているはずです、なので、病んでいるんだ自分はと、思ってみたり、口に出してみたり、文章で書いてみたりします。自分を外部化することで遠くから自分を他人として見ている気持ちになることができて、つらい自分と切り離しができます。
ゆっくりお風呂に浸かる
自宅ではほとんど湯船につからないのですが、メンタルの回復をはかる時にはほぼ必ず、遠くても銭湯か温泉に行きます。
温かいお湯にじっくり体を沈ませ、血の巡りを感じ、老廃物の排出とともにストレスも水に流しているイメージをします。サウナに入り、汗をかき、悪い気を一緒に流しているとリアルに想像します。水風呂に入って、またサウナに入り、体の芯からすべてを入れ替えるような気持ちでいます。
気づかないふりをしていた腹立たしさが、夜行性の蛇のように首をもたげてくる。
— 神崎悠輔 (@kamkamkamyu0728) 2018年12月21日
だいたいの心理的な問題は銭湯に行くことで解決できるという発見はまさに人類の叡智で、水風呂とサウナの交互浴は、神が人間にあたえた最後の砦なのだとゴニョゴニョ唱えてAM25時まで営業のオアシスを探した。
血流がよくなるという意味もあるとは思いますが、この、自分の中から悪いものを出しているという感覚はかなり大事なように思います。また、メンタルの不調は一因的なものではなく、複合的なものな場合が多いので、むしろ原因の解決をはからず、物理的な体の感覚に意識を向けることで、精神的なダメージから目をそらすことができるのだと思っています。
人はなにかを「考えたくない」と強く思うほどに考えてしまうので、対処法としてはなにか別のことを強く考えるしかなくて、それが無理なら体を動かすとよくて、つまり禅で言うところの掃除や食事に集中するのが修行である、みたいな話
— 神崎悠輔 (@kamkamkamyu0728) 2019年3月25日
できる限りの運動をする
自分は体力がなく、最近ようやくすこしずつ筋トレを始めたのですが、軽めのランニングとか、ストレッチとか、スクワット、プッシュアップなどの運動をします。原理はサウナと同じでしょうか、精神的なものから意識を外すことで楽になっているような気がします。人間は忘れるという性能を持っているので、意識をそらせばストレスを忘れてくれるのかもしれません。
抹茶を点てる
最後になりました、これが言いたかっただけのような気もします。
抹茶を点てます。人のために点てるのではなく、自分のために点てます。
人のために点てる抹茶は、この人は苦みは強いのだろうか、今日は暑いからすこしぬるめにしようかなどと考えながら抹茶を点てるのですが、もうそんなことは考えず、指先に意識を集中し、茶碗との触れ合い、重力、湿度を感じながら、世界とつながるように、抹茶を点てます。座禅やヨガに近いものがあります。
最後に
参考になりましたら幸いです。