Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

自分の欠点はどこなのか?に悩んだら


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こんにちは、神崎です。

ツイッターに相談箱を設置していまして、想像していた以上に質問してくれて、考える機会になり、ありがたいなーと思っています。

 

自分の欠点はどこだと思いますか

 

 

欠点というと、就職活動の時の自己分析を思い出しますね。

いろんな関係性の友人、知人に長所や短所、自分のイメージを聞きました、懐かしいです。

 

質問への回答にはこういう内容で答えさせていただきました。 

 

欠点や長所って、絶対的なものではなく相対的なものなんですよね。自分が持つ何かしらの性質が、誰かといるときや、何かをしようとした時に欠点になったり、長所になったりします。 自分は性質や能力がかなり凸凹で不安定なので欠点になる要素はけっこうあります。

 

自分一人が、自分一人でいた時に、絶対必ずいつもダメなところがあるのかというと、そういうことはないわけです。

すべての短所は長所として言い換えられるんだと自己分析の本に書いていなかったでしょうか。

自己中心的はマイペースと言い換えるとか、怒りっぽいは感情が熱しやすいとか。

言い換えでなくとも、小心者で他人の顔色をうかがいがちなことがコンプレックスな人からすれば、自己中心的な人でも自分の意見がしっかりあってカッコよく見えたり、自己中心的なことがコンプレックスな人からすれば、他人の顔色をうかがう人も、社交性、社会性に優れた人として見ることができるでしょう。

 

どこに出しても完全に欠点になる性質というのはないんですよね。

 

そういう意味で、自分がどういう環境で、なにを目指していて、もしくはどういう状況を幸福として認知していて、なにを欲していて、どんな人たちと関わりあって生きているのかが、欠点を考える時には大事になってきますね。

 

自分の場合はよく言えばのびのびと、悪く言えばわがままに人生をやってきてしまったおかげで、多くの人が身に着けてきた能力や、矯正してきた態度などがそのままになっているのだと感じています。

 

私の好きな小説の一説に

三つ子の魂百までと言うのに当年とって二十と一つ、やがてこの世に生をうけて四半世紀なんなんとする立派な青年がいまさら己の人格を変貌させようとむくつけき努力を重ねたところで何となろう。すでにこちこちになって虚空に屹立している人格を無理にねじ曲げようとすれば、ぽっきり折れるのが関の山だ。

とあり、当時、ちょうど二十と一つだった私としては全くその通りだとうなずいたもので、社会でやっていくために社会から必要とされている能力、態度、人格を矯正するのはあきらめることにしたのもその時でした。

 

ただ、あるコミュニティでは短所とみなされることも、別のコミュニティでは長所になりうるというのに気付いたのはこの文章を読んでだいぶ経ってからでした。

 

具体的に自分の短所を発表せずに申し訳ない気持ちはありますが、今のところは自分の短所と向き合うことで、むしろ自分に適合した状況に身を置くことができているのではないかと思います。

 

最後に

もし、人より劣っているとか、馬鹿にされることが多いとかで悩んでいる人にアドバイスをするのなら 、自分がそのコミュニティで、劣っていると思う部分、人に馬鹿にされる部分を、具体的に認識してみることで、その短所が活きるフィールドを探すと生きやすくなるでしょう、ということです。