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日記ということにします。しばらくは。

【相談室】大学に行くのは人生において重要だと思いますか?意味はないと思いますか? に茶人が答えました


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こんにちは、神崎です

 

今回も質問箱の質問に答えました。この質問されてる方けっこういらっしゃるようだったので自動質問かもしれませんが、自分なりの人生と照らし合わせて答えてみました。

 

大学に行くのは人生において重要だと思いますか?意味はないと思いますか?

 

この質問をする立場の人は、大学に行く人生と大学に行かない人生のどちらかを選べる人ですね。

 

わたしは親のおかげで大学に行く人生を選ばせていただいたのですが、その立場から答えたいと思います。

 

 

「意味はあるのか」という問いに対しては、「できごとや選択した行動に意味を見つけるのは自分次第」なので、行くことにも意味はありますし、行かないことにも意味があります。

 

大学の価値というと一般的には「就職を有利にするため」の人もいれば「就職するまでのモラトリアム(猶予期間)」の人もいます。本来の目的とも言える「学びたいことがある」という人はあまり多くなかった印象があります。

 

統計的には大学を卒業している方が生涯年収が高くなる傾向にはあるようです。

 

私にとって、大学に行ったことは重要だったと言えます。 これは理由が3つあり、ひとつは大学受験の勉強で得たものと、大学時代に得たものと、大学卒業後に得たものが人生を変えたと思っているからです。

 

わたしは高校生の時まで、勉強をする意味がまったくわかりませんでした。正直に言えばなるべく早く死にたかった。できれば20歳くらいで死にたかった。遅かれ早かれ誰もが死ぬのだからなにをしても意味がないと思っていました。なにかを頑張るという気持ちになれずにいました。

 

高校生の頃はアニメが好きで時間があればアニメを見ていたんですが、高校二年生の夏にためしに早稲田大学オープンキャンパスに行ってみたら、漫画研究会の講演で白石涼子さんが来ていたんです。白石涼子さんは「ハヤテのごとく」の綾崎ハヤテくんとか、「まほらば」の白鳥くんとか、「夏のあらし」の小夜子ちゃんとかをやってて中性的な声がとても好きだったんですが「早稲田大学に入ると白石涼子さんを学園祭に呼べるのか!目指そう!」と思って大急ぎで勉強を始めました。このエピソードからも分かると思うんですが、わりと自分はマヌケなところがあるというか、ほぼマヌケな思考なんですが、とにかく受験勉強をしました。

 

自分は授業を受けるのが嫌いなことは分かっていたので、ほぼ自習で1年半の受験勉強をしました。テストを受けて自分の現在地を知り、ゴールまでの距離を測り、スケジュールを割り出し、試験でチェックする。

 

自分で立てた目標にむかって努力をすると自分の能力が上がっていくことが単純に嬉しく、また、それまで退屈だった勉強も分かることが増えていくと楽しいと思えるようになりました。

 

結果的には早稲田大学は落ち、成蹊大学の文学部に入学し、漫画研究会ではなく茶道部に入ったわけですが、受験期間自体がいい経験でした。

 

次に学生時代の話ですが、基本的に20歳くらいまでに死にたいという気持ちは変わっていなかったのですが、親より先に死ぬのは申し訳ないから親が生きている間分だけでも生きている理由が欲しいと思っていました。

 

茶道に打ち込んでみると、身体的な動きの美しさ、言葉づかいの丁寧さ、茶碗の知識、季節への意識、道具の合理的な配置と動かしかた、茶道具の選び方など、今まで気づきもしなかった世界を知ることができました。そしてそれは茶道の世界だけの特別なことではなく、日常的な世界も自分の見るフィルター次第で美しく見えるのだと知ることができました。

 

ここで重要なのはたしかに茶道と自分の出会いなのですが、茶道を通して関わり合う先輩や同期、後輩、他大学の茶道部員との交流があり、共通の興味関心について語り合ったり、熱くなったり、泣いたりしたこともよかったのだと思います。恥ずかしながら高校生までにそういった時期を過ごさなかったこともあるからです。

 

なにより自分が心を尽くしてととのえた茶を相手に捧げて「おいしい」と笑ってくれた時に自分はこの瞬間のために生まれてきたんじゃないかと思いました。

 

ここですこし俯瞰した見方をすると、大学生の間の時間はかなり自由度があるので自分で時間の使い方を選ぶことができます。それはある意味では無駄とも呼べるのですが、社会人として働いていると無駄な時間を取りづらくなります。自分はなにがしたいのか、なにが好きなのか、なにが嫌いなのか、考えることができます。無駄な時間は人生にとって大切です。

 

高校生の時と違うのは学問的な興味の幅が広がることだったり、日本全国から来て出会う人たちだったりします。そういった出会いの機会は、自分の人生の幅も広げてくれます。

 

そして大学卒業後には、自分の人生の選択肢が増えていたことに気づきました。新卒の就職活動はどうしても学歴で見られることが多いです。

 

そうした中で大学を卒業していることで選択肢として含められる業界や職種もあります。 また、日本の現行の就職活動だけが人生の道筋ではないこともわかりました。世界を見るといろんな生き方の人がいるのだから、自分もとらわれなくていいのだなあということです。

 

すみません、長い上にすこし飽きてきたので今回はこのへんまでにします。

 

最後に繰り返しになりますが、大学に行く人生も意味があるし、大学に行かない人生も意味があります。それは自分が自分の人生にどう意味を見つけるかです。

 

大学に行くほうが絶対にいいとは言えないですし、大学なんか行ってもしょうがないとも言えません。 自分は大学に行く人生をやらせてもらったので(親がお金を出してくれました。感謝しています)大学に行った人間としての話しかできませんが、自分なりに大学はよかったです。

 

無責任な言い方になりますが、他人なのでしかたないです。むしろ強めのアドバイスをする人にわたしは「なんの責任もないのによく平気で人の人生を変えようとしてくるなあ」と思ってしまいます。

 

以上です。
 

一気に書き上げたので後半がわかりづらくなってしまいましたが、何かをした人が、何かをしていない人の人生を、意味がないとか価値がないとか言うのは間違っているなあと思っています。

 

わたしはこう思っているとか、なるほどと思ったら、コメントや引用、よろしくお願いします。