Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

近況。具体的な目標がないときついという話。

 

最近

彼岸花が咲く時期になってきた。

 

最近はけっこう色々している。筋トレしてブログ書いて、新規事業用の資料作って、本を読んで、料理をして、断捨離して、座禅をしている。仕事の連絡もできている。


地域おこし協力隊用のTwitterの投稿予約つくって、毎週1回地域活性化目的のカフェを運営していて、移住者が気軽に住めるためのシェアハウスを作ろうとしている。


さっき酔っ払っていて仕事道具を割ってしまったのがショックなくらいで他には特につらいこともない。穏やかな日々だ。仕事道具を壊してしまったのはかなりショックだ。泣きそう。


そういえば、日々の動きについてなるべく記録を取るようにしたらブログを書きやすくなった。リアルタイムで日記を書くようにしている。漫画の『未来日記』みたいだ。


目標がない組織でなにかをやるのは大変


充実してきた一方で、軽く後悔してることがある。


目標がない団体でなにかやるのはけっこうキツイと思った。

 

個人の志向の話なのでどちらがいいという話ではなく、自分が合わないという話なのだけれど。


たしかに、温泉のようにとくに目的もなくなんだか気持ちいい居心地のいいコミュニティは、それはそれで大事だ。


だけど「問題意識」があるのに「課題設定」や「目標設定」がない組織というのはダメなんじゃないか。


うまく言えないけど。


目標がないということは評価される指数がないということだから。頑張ってるとか頑張ってないとかの判断もできない。改善の提案もできない。


暫定でもいいから、ていうか基本的に目標というのは暫定しか無理なのだけど、なにかしないといけないとかどうにかしないといけないとか、問題意識はあっても目標がないと、なにもしようがない。


地域活性化の場合


たとえばのはなし。


高齢化問題、少子化問題。地方の過疎化問題、観光客の減少問題、地域のつながりの希薄化問題。いろいろあるとする。


課題設定としては観光客増加、移住者増加、地域コミュニティの形成、子育て支援、孤独生活のサポートなどがあるはず。


行政としてはバランスよく課題を盛り込まないと議会や町民に「これは無視していいのか」などと突っ込まれるから、まんべんなく課題として取り上げる。


けど、リソースは限られている。お金も、人も、時間も。一度に一つずつしかできない。


地域コミュニティの形成をやっていたら、「観光客増加にどうつながるんだ」と言われたら、「今は繋がりませんが最終的には繋がりますよ」と言うしかないし


観光客の増加のためのPR活動をやっていたら「それは地域の活性化にどうつながるんだは」と言われて「今は繋がってませんが最終的には繋がりますよ」と言うしかない。


いろいろな課題がありすぎるせいで、身動きが取れなくなってる、という自治体は多いんじゃないだろうか。


具体的に活動をすれば、なんらかの反対意見や提案をする自称活動家の地元民が発生する。


すべてを網羅した活動は結局、中途半端になってなにも成せない、と思う。


老人にとって居心地のいい場所は必ずしも若者にとって居心地がいいわけではないし、逆もそうだ。


公平であることは難しい。誰のためにもいいものなどない。


アルコールだって、どんなに飲んでも全然平気でいくらでも飲める人もいるし、反対に一口飲んだだけで倒れてしまうような人もいる。


誰でも飲めるアルコールをつくれって、無理でしょ?


切り捨てる覚悟


目標を決めるとき、ほんとうに大事なことは、何をやらないかを決めることだ。諦めるものを決めることだ。切り捨てるものを選ぶことだ。


筋トレでも読書でも、新しい習慣を取り入れたいなら、ぼんやりしていた気楽な時間を捨てる覚悟をしないといけない。


少子化対策をするなら、老人のケアは削らないといけないかもしれない。少子化問題と高齢化問題はべつのものだ。


若者の住みやすい地域あるいは子育てしやすい地域をつくるためには、保育施設をつくったり、支援金を出したり、家を用意したりする必要がある。

 


老人の住みやすい地域にするには、家庭訪問をして健康のチェックをしたり、スーパーまでのバスを出したり、共同浴場を作ったり整備したり、健康目的のサークルを運営したりする必要がある。


観光客を増やしたいなら、店のPRや、観光地の整備をする必要がある。トイレを作ったり、看板を設置したり、道を整備したり。


移住者を増やすなら、移住希望者に向けた情報を作る必要があるし、移住者向けの賃貸物件の発掘や整備、もしくはお試し住宅の用意が出てくる。


行政としては「みなさん」のことを考えなければいけないけれど、「みなさん」のことを考えすぎて切り捨てることができず、目標設定ができていないというのは本当にきつい。


なにをやればいいのかわからないし、なにをやっても別の誰かからなにかを言われる。

 

切り捨てる覚悟は必要だと思う。

 

とは言え、自分も色々な人にかなり迷惑をかけて面倒を見てもらっているので偉そうなことは言えない。

 

勝てば官軍、負ければ賊軍という言葉を思い出すがこの場合がそうかは分からない。

 

大きな成果を出してしまえば評価はされるのだろう。それまでの不評を打ち消すように。

 

 


 

男が筋トレをする意味は「生物としてなめられない」ためなのか

筋トレの習慣づけに成功しつつある

ここ最近、筋トレを習慣にできてきました。
何度も取り組んできたものの結局、最近になって継続できるようになってきたのです。

継続できている理由はいくつかあるのですが、
1つ目は習慣にするための技術を学びながら取り組んでいること。
2つ目は筋トレについて調べていること
3つ目は筋トレをしているとブログに書いていること
が挙げられます。

1つ目はここでは多く書きませんが、行動科学や脳科学認知科学の本を読み、習慣形成をする戦略を学んでいます。
複利で伸びる1つの習慣』
『やり抜く人の9つの習慣』
『その科学があなたを変える』
『良い習慣、悪い習慣』
がいい本でした。僕の他の記事でも引用しています。

2つ目はこれも本ですが、いくつか読んでいます
『体力の正体は筋肉』
『プリズナートレーニング』
『科学的に正しい筋トレ 最強の教科書』
『超筋トレが最強のソリューションである 筋肉が人生を変える超科学的な理由』
などです。

体力不足が原因で倒れてしまったので「体力ってなんなんだっけ」と思い、『体力の正体は筋肉」を読みました。

近くにジムもなく、以前に東京に住んでいた時にジムにお金を払っていたものの継続しなかったので自重トレがいいと思い、『プリズナートレーニング』を。

そして『プリズナートレーニング』で筋トレに欠かせないのは三つだけ、自分の体、正しい知識、そして確固たる決意であると言っていたので知識を求めて『科学的に正しい筋トレ 最強の教科書』を。

モチベーション維持に『超筋トレが最強のソリューションである 筋肉が人生を変える超科学的な理由』を読んでいます。

3つ目の理由が個人的には一番大きくて「書くことの楽しさ」に最近気づきました。

自分の感想を述べるだけではなく、本の情報をまとめたり、組み合わせたりしながら、自分の経験と照らし合わせて書くのが楽しくなってきました。

ブログ記事として残っていけば、確実にそのたびに「筋トレが続いている」「読んだ」「考えた」「書いた」の蓄積になっていくので、自信にもなっているかもしれません。

本当はよくあるビフォーアフターみたいに写真を出せればいいのですが、そこまで肉体はまだ変化しないのが悲しいです。

腕立ては1日合計で100回~200回、懸垂を10回~20回、週3回くらいダンベルをやっています。数でみるとまだまだ少ないのですが、少しずつ筋肉もつき、筋トレ自体が楽しくなってきている感じです。

ただ、筋トレの成果は3か月たってから現れるということで、変化自体はゆっくりです。

モチベーションの維持のために「体を強くする理由」を探しています。

複利で伸びるたった1つの習慣』の著者ジェームズ・クリアー曰く、行動変化の第二の法則は「魅力的にする」だからです。

平和な時代には忘れがちな弱肉強食の世界観

軍鶏という漫画があります。

主人公は両親を殺害した少年犯罪者「成島リョウ」。成島は内気で臆病な性格がゆえに少年院でほかの少年院生や教官からの陰湿なイジメにあいます。


イジメはどんどんエスカレートし、生命の危機を感じるレベルに。

そんな中、少年院で習わされた空手で才能を開花させ、徐々に強さと凶暴さを身に着け、少年院を出た後も暴力の世界で生きていきます。

がり勉で貧弱、現役東大合格も目前だった成島は、キレて両親を殺したことがきっかけで弱肉強食の世界に身を落とすことになり、悟ります。

「弱ければ死ぬ」

「己の命を守るには強くならなくてはいけない」

そんな、強さを求めていく姿は決して「正しい」とは言えないものの、どこか共感できる部分もあります。



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20年以上をアメリカの監獄で過ごしたポール・ウェイドは『プリズナートレーニング』で、トレーニングをする理由、トレーニングを教える理由をこのように述べています。

殴打やむごい仕打ちによるきしみ音が毎日聞こえ、囚人同士で殺し合い、重傷を負わせ合うのが日常だった。強くなるために監房でトレーニングを重ねた男だけが、文字通り、サバイバルできた。彼らは、脇目も振らず、猛烈にトレーニングした。パワーを持っているかどうかが生死を分かつからだ!

自分を鍛えることで、誰からも奪われない自由をつくり出した

と。

成島リョウは少年院から出た後、空手の大会に出たり、格闘技の大会に出たりしますが「勝つことが正義」としてどんなに卑怯な手でもかまわず使っていく姿は、現代的ではなく、もはや戦国時代を生きる武将のようでもあります。

宮本武蔵を思い出すところがあります。力をもって自分のアイデンティティを確立し、強さという一つの軸で社会とかかわっていく点では重なる姿が多くあると思います。

宮本武蔵の生きざま

吉川英治宮本武蔵を下敷きにした井上雄彦の『バガボンド』では宮本武蔵は「いつ死んでもかまわない」「強くなることが生きること」「天下無双を目指す」そんなかっこいい男として描かれています。





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しかし坂口安吾は『堕落論』の『青春論』の中で「宮本武蔵は死ぬ覚悟なんかできていなかった」「生きるために必死で、剣外の技もなんでも使えるものは使っていた」ということを指摘しています。

武蔵が松平出雲守のもとで棒術の達人と戦わされたとき、武蔵はまだ試合が始まっていないと思い込んで構えていなかった棒術の達人の隙をついて顔をつき、棒を叩き落として、腕を打ち、頭上から打ち下ろして倒してしまったのです。

坂口安吾は指摘します。

武蔵の考えによれば、試合の場にいながら用意を忘れているのがいけないのだと言うのである。何でも構わぬ。敵の隙に付け込むのが剣術なのだ。敵に勝つのが剣術だ。勝つためには利用の出来るものは何でも利用する。刀だけが武器ではない。心理でも油断でも、又どんな弱点でも。利用し得るものをみんな利用して勝つというのが武蔵の編み出した剣術

だ。


武蔵は29歳までに60回以上の勝負をおこない、すべてに勝ち、その後は戦いの場から引退しています。

坂口安吾は、五輪の書は「勝つためには刀以外の何でも利用する」武蔵の哲学を引っ込めて、引退したのちに悟りすまして世間受けすることを書いたのだということを言います。

いつでも死ぬ覚悟を持っていたのではなく、絶対に殺されたくないからこそ泥臭く勝利する姿が全盛期の宮本武蔵だったのだと。

ただ、坂口安吾は「必死で生きたかった人」だからかっこ悪いと言いたいわけではないのです。

武蔵は努力型の天才だと言っています。藁にもすがるような可能性を見つけ出し、相手に勝利するような姿がまさしく青春であると、もがき苦しむのが青春であると。

それが、五輪の書を書いてしまったばかりに、試合には勝ち続けていたのに、最後に社会に負けてしまった、だからダサい、ということを言っています。


これは坂口安吾の自己投影でもある、と『仮説の物語り』で指摘されていました。

坂口安吾こそ「凡才でありながら、必死で生きたかった人」であり(他者評価というよりは自意識)、武蔵の若き姿に自分を重ねていたのだと。

平和な時代に強くなる意味

この平和な時代に強くなる意味は、戦国時代ほどは存在しないでしょう。監獄でもなければ少年院でもない世界。

それでも弱肉強食のルールはたしかにゆるやかに成立していることも感じます。

テストステロン氏は『超筋トレが最強のソリューションである 筋肉が人生を変える超科学的な理由』で「生物としてなめられないために必要なもの」としてこう言っています、

生物として弱いと認識されるとなめられて仕事を押し付けられたりイジメられたりします。「俺をなめんなよ」と常日頃から攻撃的な性格でいるとただの痛い人。嫌われます。どうしたら穏やかに過ごしつつも危険な生物として認識してもらえるのか?答えは簡単。筋肉です。筋肉は生活に平穏をもたらします。

参考文献

体力の正体は筋肉 (集英社新書)

体力の正体は筋肉 (集英社新書)

  • 作者:樋口 満
  • 発売日: 2018/04/17
  • メディア: 新書
バガボンド コミック 1-37巻セット (モ-ニングKC)

バガボンド コミック 1-37巻セット (モ-ニングKC)

  • 作者:井上雄彦
  • 発売日: 2014/07/17
  • メディア: コミック
青春論

青春論

断捨離のために考えたことと三日坊主プログラム 1回目

 

モノを捨てたい

最近、モノを減らそうと思って色々捨てています。

 

先日は、整理整頓をしていないデフォルト状態が「問題」だと正常に認識できていない可能性を自己分析してみました。

友人が来るときには急いで片づけてギリギリセーフにしてしまっていることで誤った成功体験を学習してしまったのではないか、と考えました。

 

kamkamkamyu.hateblo.jp

 

そうじ研究家の舛田光洋著『3日で運がよくなるそうじ力』によると、捨てたいのに捨てられない時はどうしたらいいか?というと問いに対して 

 

「タオル1枚からはじめてください。古くなって取っ手のもげた鍋でもいいです」

鍋一つでも捨てられたら成功です。

そんな成功を一つひとつ積み上げることに意味があるのです。ひとつ捨てるごとに、プラスが溜まっていくイメージです。

 と答えています。

 

最近は筋トレも習慣づけようと欲張りセットでやっているのですが、習慣づけのコツは小さなことからはじめて徐々に大きくしていくことです。

 

英国の心理学者リチャードワイズマンの著書『その科学があなたを変える』でも紹介されている「フットインザドア」というテクニックで、「はじめに小さなお願いをすることで、後々に大きなお願いも受け入れてもらえる」という研究結果を示しています。これは自分自身の生活習慣に対しても同様に言えるのだそうです。

 

毎日、服やなにかしらのいらない道具を捨てる癖をつけようとしているところです。

 

三日坊主プログラムの成果はあった

そして先日の記事に書きましたが、そうじ研究家の舛田光洋さんが提唱している三日坊主プログラムをやろうとしていました。

 

三日坊主プログラムを達成する秘訣としては

1、余計なことを考えない
2、頑張りすぎない
3、週末を上手に活用する

の三つのポイントを紹介してくれている。

 

完ぺきを目指さなくとも頑張りすぎずに8割程度でいいと考えれば楽になるし、忙しいなら三日間連続でやらなくとも、1週間おきにやってもいい。と考えると気持ちも楽になる。

 

ここで、プログラムをつくってみた。
読んだだけで満足していてはいけない、どうせいつかやることになるなら、今すぐやらない理由もないのだ。

「捨てる」
1、今年着なかった服、去年着なかった服を捨てる 9月17日
2、今年使わなかった何かしらの道具、去年使わなかった何かしらの道具を捨てる 9月18日
3、明確に使う予定のない書類を捨てる 9月20日

 

全部ではないのですが、捨てることはできました。

書類はまだ精査が必要かもしれません。(ほんとはすべて捨ててしまっても問題なさそうですが勇気が出ない)

 

「if-then プランニング」の効果

コロンビア大学でモチベーション理論を教える社会心理学教授のハイディ・グラント・ハルバーソンはやり抜く人の9つの習慣で「if-then プランニング」という方法を紹介しています。

 

ダイエットからフィットネス、そして交渉から時間管理に至るまで、これまで何百もの研究成果の蓄積から、はっきりわかったことがあります。

それは「どんな行動をするかを事前に具体的に決めておく」ことでそれが実行される確率が高まるということです、

ただ決めるのではなく、事前に「いつ」「何を」やるかをはっきりと決めておくーこれで実行できる確率は2倍から3倍も高くなります。

 

三日坊主プログラムのおかげで「この日に」「これを捨てる」と決めておいたことが、行動を促す決め手になったのだと思います。

 

この調子で引き続き習慣をつくっていきたいです。

 

捨てるときにはなぜ捨てるのかを考える

ミニマリストのしぶさんによるとただ捨てるだけではなく、なぜ捨てるのかをよく考えたほうが良いということを言っていました

 

たとえば服ひとつとっても「本当は欲しくなかったのに、セールに釣られて買ってしまった」とか「黄色は明るすぎて自分には似合わないと分かった」とか、捨てるからには必ず理由があります。

そうやって、捨てる理由を繰り返し分析しているうちに、「余計なモノを買わないコツ」がわかってくる。

ミニマリストしぶに聞いた“捨てる”効果が想像以上だった。「コツは全部で5つあります」|新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。

 

ので、捨てながら考えて、Evernoteにメモをしていたので暫定ですが公開します。

 

服について

チノパン

2年くらい前に、使いまわしできますよと店員さんにおすすめされたけど結局3回くらい履かなかった。1万円くらい
ベージュがなんか嫌い。似合ってる気もしないし、かっこいいとも思えない。

素材は履きやすくて柔らかくていい感じだけど、結局、去年か一昨年に購入して数回しか履かなかった


サルエルパンツ

ダボッとした感じの好きだと思ってたんだけど、やっぱり人前に出るときには着たくないなと思った。

落合陽一氏のようにYOJI YAMAMOTOのサルエルパンツを履くのはけっこうかっこいいと思ってたけど、生き様や仕事ぶりや言動を含めた彼が履くのがかっこいいのであって、決してサルエルパンツを履いた人間がかっこいいわけではないな、と思った。サルエルパンツに限らずなんでもそうだが。


ゆるい系のシワがつきにくいパンツたち

素材のおかげでシワがつきにくいので、いいと思って買った。

今年はけっこう履いていたんだけど、ピシッとしない。

家着としてはフォーマルだし、外出着としてはラフ。

サルエルパンツもそうだったのだけれど、ダボッとした系の服は似合わないかもしれない。あるいは、ダボッとした服を着ている自分が好きではないかも。


スラックスぽいパンツたち

普段から履きたいわけでもなく必要になるかなと思って持っていたけど、打ち合わせの際などにも必要とされないので、なくていいかも。


ユニクロのシワがつきにくいパンツ

ジョガーパンツか?

安いからか気兼ねなくガンガン履ける。

家着はこんなもんでいい気がする。


ジョギングウェア

これは買ってよかった。

なにより洗濯してから乾くのが早いのが助かる。最近は毎日は走っていないけど、理想としては毎日走りたいので、これのセットが1着あれば足りて最高。


ユニクロジーンズ

履きやすくてよかった。ポリウレタン入ってるけど丈夫だし。
もう6年くらい履いてるかも。

けど、APCを買ってから、APCのシルエットの良さを知ってしまって、どうせ6年とか履くなら良いジーンズを履いていたいと思うようになった。

 

決してユニクロジーンズが安かろう悪かろうではなく、ちゃんと安くて良いものだと思う。

以前に友人にユニクロジーンズを履いていた時「このジーンズいくらだったと思う?」と聞いたら、2万円くらい?と答えられた。自分もジーンズの値段の目利きはできないのでなんとなく安心したという話だけど、3000円のジーンズも2万円のジーンズも、見る人が見なければ価値の差は分からない


A.P.Cのデニム

美しい。お気に入り。24000円くらい。履いてて元気になれる。

どうせ分からないなら安くてもいいじゃないか、と思ってUNIQLO履いてたけど、

6年履けると思えば2万円のジーンズだって1年で3200円ほどだ。

 

・「APCジーンズなんだ!買いたいと思ってたんだよね!」という分かってる人どうしの会話が弾む

・好きなものを身に着けているほうが気分がいい

・スタイルがよく見えるほうがいい


聖林公司(blue blue)のデニム

A.P.Cよりもやわらかくて動きやすい。14000円くらい。

やわらかくて動きやすいと評判で「もう一枚の肌」というコンセプトで売ってるヌーディジーンズを買おうかと思ってたのだけど、ヌーディジーンズは柔らかい素材にするためにポリウレタンを入れているのが気になった。(耐久力落ちるから)

 

ジーンズ屋さんに行ったときに「前はヌーディジーンズ扱ってたんですけど、破れやすいって苦情がちょこちょこあったので、聖林公司のほうが私達がお届けしたいユーザー向きかなと思い、ヌーディジーンズの取り扱いはやめました」と言っていたので聖林公司を購入

apcよりやわらかくてふだんから履ける

・10年くらいは履ける

・シルエットがきれいに見える

 

を条件で考えたときに、ネットで探り当てたのがヌーディジーンズだったけど、自分は結局、試着してみないとダメ派で、聖林公司履いてみたらよかった。


Tシャツ

ヘインズのビーフィーを残すことに決めた。

夏の夜はヘインズのTシャツだとさすがに暑くて寝れない。かと言って裸で寝るのも自分には合ってないかんじがある。薄っぺらい綿のシャツだけ寝間着としてとっておくのもいいけど、基本的に外出はヘインズのビーフィーだけで事足りることがわかった。他は捨てる。


靴下

基本的に夏はサンダルか雪駄なので靴下はいらない。靴下を使うときは限られていて


・ジョギングのとき(毎日)
・革靴の時(かしこまった場所と冬)

なので、毎日洗濯すると考えれば安い靴下をジョギングで履いて、冬用にはまた冬に考えたい。

 

コートとかジャケット、パーカーなどの上着 

検討中 去年の冬着なかったのは捨てた


アイテムたち

馬油 

基本的にはこれだけでスキンケアはいいと思う

 

日焼け止め 

マスト、毎日使う

 

スピルリナ

ほぼ毎日飲んでる

 

ビタミンC

最近はタブレット

 

牛乳石鹸

手洗いもシャンプーもボディーソープもこれでよい

 

歯ブラシ

こだわりなし

 

歯磨き粉2種類

フッ素1450mの

あと、白くなるやつ

 

フロス

爪楊枝っぽいやつ

 


仕事道具

幟旗

旗の台座

シーラー

急須とか

茶碗とか

茶道具たち


カメラの道具

バッグ

拭く布

充電器

画面のホコリを取るエアー

三脚


 以上です。

 

ちょっとまだまだこれから書き足す必要もあるのですが、リストの作成は続けていくつもりです。

 

次の三日坊主プログラム

「捨てる」
1、使う予定のない資料や紙を写真に撮ってから捨てる 9月29日
2、今年使わなかった何かしらの道具、去年使わなかった何かしらの道具を捨てるpart2 9月30日
3、必要あるリストに入らなかったこまごましたモノを捨てる 10月1

 

参考文献

 

その科学があなたを変える

その科学があなたを変える

 

 

 

3日で運がよくなる「そうじ力」 (王様文庫)

3日で運がよくなる「そうじ力」 (王様文庫)

  • 作者:舛田 光洋
  • 発売日: 2006/09/01
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

好きなことを見つけて「茶人」になるまでの経緯

好きなことで生きられるようになった

大学生のころにはじめた「茶道」が好きで、「お茶」に関わる生き方をしたいと思って、やってきました。もう5年目になりますが、東京各所、北海道夕張市三重県鳥羽市岐阜県飛騨古町、静岡県東伊豆町、静岡浜松市静岡県森町などで、合計6000人以上の方にお茶を楽しんでもらうことで生きてきました。


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そんななか、「好きなことで生きている」についての相談を受けたりします。「好きなことで生きていきたい」というイメージはあってもそれぞれの人で悩みが違います。

そもそも好きなことがない
なにが自分の好きなことかわからない
たくさん好きなことがあってしぼることができない

などのパターンがあるでしょうか。

「自分でやりたいことを決められないから、いっそのこと家業がある家に生まれて自動的に2代目とか3代目とかをやりたかった」なんて話も聞いたことがあります。

僕も、今では「茶人」と名乗り、お茶にかかわることをなんでもやると言って、イベントの企画や運営、茶道のパフォーマンスや、お茶ドリンクでの出展、地域での交流カフェの運営、お茶のおいしい淹れ方講座の企画などをやっていますが「茶道が好きだ」と決めるまでは好きなことなどありませんでした。

むしろ、やりたいこともないのに生きていくのに耐えられない、と毎日考えていました。

今回は「好きなこと」を見つけた経緯についてお話ししようと思います。

1、やってみないと好きかどうかわからない
2、やってみて、考えてみる
3、性格が行動を決めるのではなく、行動が性格を決める。あるいは過去が現在を決めるのではなく、現在が過去を決めている。

1、やってみないと好きかどうかわからない

やりたいことがないんだよね、と言う人におすすめなのは、いろいろやってみることです。

世の中にあるものの全てを経験してしまった、という人は次の「やってみて感じた違和感を分析してみる」を参考にしてみていただきたいと思いますが、全て経験してしまった人っていないと思うので、いろいろやってみてください。

やりたいことリスト100をつくってみるのもおすすめですし、友達に誘われたことを片っ端からやってみてもいいと思います。

ピカピカの泥団子をつくるとか、ライターやマッチをつかわずに焚火をしてステーキを焼くとか、ベッドを自作してみるとか、ボルダリングをやってみるとか、ゴルフの打ちっぱなしに行ってみるとか、読んだことのない漫画を読んでみるとか、川で綺麗だと思う石を10個探すとか、なんでもいいです。

僕の場合は、幼いころに母が亡くなっている関係で父の祖父母の家で育ったのですが、母親がいないぶん、一人で遊んだり、妹と遊んだり、友達と遊んだり、習い事をしたりして過ごす時間が多かったかもしれません。誰と比較するわけでもないのですが。

伯父が植物に詳しかったので山芋を掘りに行ったり、タラの芽を採りに行ったり
伯母がピアノの先生をしていたので12年くらいピアノを習った
ぜんそくが治ると言われてスイミングスクールに4年くらい通ったり
パワプロのサクセスで100人くらい選手をつくったり
遊技王大会を何度も開催したり
ポケモンの自作漫画を描いたり
秘密基地を10個くらいつくったり
クリスマスの時に松ぼっくりをつかったクリスマスツリーを作って1個100円で売ってお小遣い稼ぎをしたり
好きな女の子と一緒に書道を3年くらい習ったり
好きな女の子の家でやっていた空手教室に3年くらい通ったり
中学校の図書室の本を3000冊くらい読んでみたり
結果的には万年補欠だったけれど中学校では野球部に入ったり
引きこもってアニメをずっと見ていたり
一人カラオケに通って歌を練習したり
漫画喫茶に通い詰めて漫画を読みまくったり
高校ではマーチングバンド部に入ってドラムをやったり
文化祭で女装コンテストに出てみたり
家族旅行で日本の47都道府県のうち40くらいの都道府県には連れて行ってもらったと思います。

あまりやりたいことはなかったので、誘われたこととか、気になったことは逆にいろいろ手を出していました。

母親がいない分、父は気を使ってくれて、やりたいといった習いごとにも惜しまずお金を出してくれたようなところもありました。

やりたいことをやれてこれた、と言うと、順風満帆な人生だったと思われるのですが、みなさんもそうであるように、僕も良いことばかりあった人生ではありません。

家で祖父母はいつも「母親が虚弱で早く死んだから平穏な老後が過ごせなくなった」と言っていました
意識せずに人をイジメてしまっていたこともありますし、イジメられたこともあります。
派閥争いに巻き込まれた結果、ていのいい標的にされて野球部の時にはキャッチボールをしてくれる相手もいないくらいにボッチでした。
変声期の時に人と喋らずにいたので、声がほとんど出なくなりました。

それでも、いろいろやっていました。

2、やってみて、考えてみる

そう考えると、いろいろなことをすると、いろいろなことが起こって、いろいろなことを 考えます。

母親がいないって本当に普通じゃないのかな
体力がないし運動のための努力ってできないな
色弱だから赤が弱くて色の認識が苦手だな
本を読むのは苦にならないし他の人に比べても読書量多いな
楽譜は読めないけど弾いてるのを見ていたらなんとなくマネできて弾けるな
イジメられるのも嫌だけど、イジメるのはもっと嫌だな
とか、いろいろ。

そして、大学に入ってたまたま初対面の先輩に誘われたまま茶道部に入部しました。

僕は、母が31歳で亡くなっていることを考えすぎてしまっていたので暇があれば「なぜ死ぬのに生きるのか」「生きることは結局無意味ではないのか」「生きることの意味はなんなのか」といつも考えていました。

根本の部分で「これをしていたらなんの意味があるんだ」と斜に構えていたので、熱中できなかったような気もしますし、だから人間関係もうまくいかなかったんだろうとも思います。斜に構えていた自覚はなかったのですが、きっと斜に構えていたのでしょう。そういう態度は往々にして見透かされるものです。

でも、確実に、今までやったことはなにかが違う。という自信がありました。一つ一つ言語化していったらキリがないですが、すべての出来事へのしっくりこなさから、「まだ自分は生きる意味を見いだせることに出会っていない」と思っていました。周囲の人は生きる意味があるから生きているんだな、うらやましいな、と思っていました。

自分の性格が原因で「何事にも意味を見いだせないのだろうか」と考えていました。

3、過去が現在を決めるのではなく、現在が過去を決めている。

英国ハートフォードシャー大学の教授であり心理学者のリチャード・ワイズマンは『その科学があなたを変える』で興味深い説を提唱しています。

笑えば幸せを感じる、誰かと手を握るとなぜか相手が魅力的に思えてくる、筋肉を緊張させるとやる気が出るなど、様々な研究結果をもとに、従来の「性格が行動を決めている」という考え方よりも「行動が性格を決める」と明らかにしました。「アズイフ(のように)の法則」です。

つまり、僕の場合は
母親がいないから人とのコミュニケーションのとりかたがわからないのだ
イジメてしまったから競争に臆病になってしまったのだ
イジメられたから人間不信になったのだ
肉親の死を幼いころに経験したから生きる意味がわからずに悩んでいるのだ
という、広義での「性格」は実はその因果関係ではなく、「現在の行動」に規定されているのだ、ということです。

日々を慈しんでいないから、生を退屈なものだと思い込み
人を愛そうとしていないから、内向的な性格だと思い込んでいるのだ
と、そう思ったのでした。

これはアドラー心理学の『嫌われる勇気』でも別の言い方で言われています。

過去の原因にばかり目を向け、原因だけで物事を説明しようとすると、話はおのずと「決定論」に行きつきます、すなわち、われわれの現在、そして未来は、全てが過去の出来事によって決定済みであり、動かしようのないものである、と

アドラー心理学では過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えます

ご友人は「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」と考えるのです。

つまりご友人には「外に出ない」という目的があって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。アドラー心理学ではこれを「目的論」と呼びます。

と。

茶道は、不完全を愛すること、日々に美を見出すことを教えてくれた

自分はどういう生き方をしたいのだろうか、と悩んでいた時にたまたま入部した茶道部
幸運にも流派の家元にご指導していただく機会があり、茶道をしている方々との出会いや、聞いたお話を通じて「そういう生き方をしたい」と思うようになりました。

大学の卒業論文では茶の歴史と文化の変容についてまとめていました。

茶は中国雲南省の最南端で発見されたと考えられ、茶葉を人類が利用し始めたのは数千年前と想定されています。日本には茶は自生していなかったため、約1200年ほど前に中国(唐)に渡った永忠、最澄空海らが、仏教や土木建築技術、医療技術などとともに日本に持ち帰ったようです。

茶は、最先端の飲み物であると同時にその豊富な栄養から「薬」として引用され、仏教と密接に結びつきながら天皇に捧げられ、将軍に献上され、貴族のたしなみになり、芸術鑑賞に欠かせない飲み物になっていきました。

一方では僧侶たちによって市井の人々の栄養剤としてふるまわれつつも、しだいに足利時代には中国から輸入した美術品と調和し、芸術性を高めていきました。

それまでばらばらだった貴族の茶と市井の人のお茶を融合させて、精神性を極地まで高めたのが千利休です。

「茶道とはなにか」という問いには一言で答えることはできません。茶道に触れる人々のなかにそれは生じるからです。1200年の歴史を耐え抜いた今、茶は無限の側面を持っています。

とあるキリスト教の方とお話ししていた時に「茶道は、ある意味で宗教である」という話になったことがあります。宗教は人間の発明の一つで、人間に生きる意味を与えてくれるし、生きる上での基本的なルールを提示してくれるものでもあります。神仏などの超自然的存在に対する信仰、教義、儀礼、組織をもって宗教と定義するとの向きもあり、そういう意味でアニミズムや仏教は宗教ではないという見解もあるようですが、神はそれぞれの信仰心の外部化であると僕は考えています。クリスマスはケーキを食べるし初詣には神社に行く、も無意識の信仰心の外部化です。

『完全教祖マニュアル』はタイトルも胡散臭いし、言葉選びも宗教を小バカにしていますが、内容はいい本です。

死後の世界や霊魂があるような気がする。お墓参りも宗教の一部です。現代の日本人は宗教に嫌悪感がありますが、明治政府の政策である神仏分離廃仏毀釈。そして戦後の天皇崇拝の解体、オウム真理教サリン事件、幸福の科学の降霊術などもあって「宗教」そのものへの不信感がありがちですが、全否定すべきものでも無いでしょう。

さて、岡倉天心は『茶の本』の冒頭でこう述べています。

茶は日常生活の俗事の中に美を崇拝する一種の審美的宗教すなわち茶道の域に達す

と。

茶は薬用として始まり後飲料となる。シナにおいては八世紀に高雅な遊びの一つとして詩歌の域に達した。十五世紀に至り日本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた。茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々と教えるものである。茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。

不完全であることの肯定、日々の移ろいに美を見出す思想、人生という不可解なもののうちに可能なものを成就しようとするやさしい企て。岡倉天心アジテーターでプロデューサーですから、茶道のことを魅力的に言語化しすぎている部分は否めませんが、はじめて『茶の本』を読んだときは感動しました。その時茶道歴2年。

山月記』の「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短い」を思い出す美文です。

茶道の「所作(行動)」を学んでいく中で、確実に自分の中での意識が変わっていく実感がありました。
些細な変化に敏感になったり、日々に美しさを見出すようになったと思います。(自分比)



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茶道の稽古をしていくなかでようやく「生きている意味は無くていいんだ」と気づけた瞬間がありました。そしてもうひとつ、たった一杯の茶で心から喜んでもらえたできごとがあり「生きる意味はこうして自分の手でつくっていくものなのだ」と分かったのでした。

そしてそれは「自分は茶によって、自分の生きる意味を作っていけるのだ」と信じ切ってしまって「茶人をやろう」という謎の思考を経て、今に至るということになります。


紆余曲折が自分をつくる

さいころから「好きなこと」「情熱を注げること」が見つかった人は今でもうらやましく感じます。意義のある、密度の濃い人生を歩んできたんだろうと嫉妬心もあります。もちろん、彼ら彼女らにはそれぞれの苦悩があるわけですが。

日本の現代の哲学者、國分功一朗は『暇と退屈の倫理学』のなかでこう言います

生きているという感覚の欠如、生きていることの意味の不在、何をしてもいいが何もすることがないう欠落感、そうしたなかに生きているとき、人は「打ち込む」こと、「没頭する」ことを渇望する。

哲学の分野ではこういう心配事がありました。人類が目指してきたはずの豊かさが達成されたとき、逆に人が不幸になってしまうのではないか、と。

20世紀初頭のヨーロッパですでに多くのことが成し遂げられ、これから若者たちが作り上げねばならない新世界などもはや存在しないように思われ、したがって、若者にはあまりやることがなく、だからこそ若者は不幸なのだ。とイギリスの哲学者バートランド・ラッセルは『幸福論』で述べています。

どうでしょうか。生きることの意味の不在はたしかにあるような気がします。生きること(食べること)に必死にならなくても生きていきやすい時代になったからなのでしょうか。私たちは生きている間に、なにをすればいいのでしょうか。

どんなに没頭している他人の人生を羨んでも、自分の人生は自分しか生きることができません。

ただ、生きる意味のなさを抱えたまま生きていくのは、自分は耐えきれない気がしました。

だからこそ、誰だってもっとこういう人生を送りたい、人生を変えたい、という気持ちはいつだって持っていいし、挑戦していい。神様はなにも禁止なんかしてない、んですよね。

お茶で生きていきたいと思ったときは、生まれてから茶道を学んできた方々がいるのに自分なんか、とか、80歳でも「私なんかまだまだよ」と言っているおばあちゃんがいたりするのに自分なんか、と思いましたが、自分が今までの人生で経験したこと、感じたこと、考えたことは自分だけのもので、他人は同じことができない、と思ったら気が楽になりました。

やりたいことを見つけたい、好きなことを見つけたい、と思う気持ちがあるなら、その心に素直になって、自分と向き合えば、すぐに見つかると思います。

今度から、浜松駅の近くのザザシティで「すべてのコトを起こす人」のためのコミュニティにドリンク担当として入ることになりました。

www.fu-se.jp


コミュニティは会員制ですが、会員メンバーだけでなく、一般の人にもお茶を飲めるようにやっていきます。

自分と向き合うお茶
マインドフルネスのお茶
おもてなしのお茶
それぞれの好みの味のお茶

いろんな形でお茶の提供を実験していきたいと思っていきます。これも、僕が今やってみたいことです。

ぜひ興味を持った方はいらしてください。日程などはまた追って公開いたします。

参考文献

嫌われる勇気

嫌われる勇気

茶の本

茶の本

茶の本 (岩波文庫)

茶の本 (岩波文庫)

山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)

山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学

  • 作者:國分 功一郎
  • 発売日: 2011/10/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
幸福論(ラッセル) (岩波文庫)

幸福論(ラッセル) (岩波文庫)

好きなことをしているだけでも心理的苦痛はある。

「好きなことをやって生きているからラクをしている、苦しみがない」ということはない

大学時代に茶道部で茶道を学び、卒論で「茶の歴史文化の変容」についてまとめ、大学卒業後から「茶人」と名乗って生きてきました。

活動5年目になりますが、小規模なお茶会の開催やイベントでの出展、鳥羽グランドホテルでのウェルカム抹茶などを通して6000人以上の方にお茶をふるまってきて今に至ります。


様々な人と接する中で

「好きなことやって生きていくなんて人生は甘くないんだよ」
「若いうちからラクをして生きていこうとするとロクな将来が待ってないぞ」
「若いのに隠居暮らしみたいで人生捨ててるぞ」

と厳しいお言葉を頂くこともあります。

一方で

「あなたのお茶を飲んでなぜだか涙が出た」
「こんなにお茶をおいしいと思ったのは初めてだ」

など嬉しくなって元気が出るような声を頂くこともありました。

最近、「好きなことで生きていきたい」、「好きなことでイベントを開いてみたい」という相談を受けるようになってきたので、自分の経験を踏まえて、お話したいと思います。

多くの人と接してずっと考えてきたのは

好きなことをやっていても心理苦痛は平等にある、ということです。
決して、「好きなことをやって生きているからラクをしている、苦しみがない」ということはないです。

「好きなこと」の「楽しさ」の中身

たとえば、僕が子どものころ、遊戯王というカードゲームが流行っていました。今でも楽しんでいる方はたくさんいるようで、たまにやりたくなります。
先日、YouTubeでデヴィ婦人がやっていてウケました。


【遊戯王】デヴィ夫人初デュエル!ラッシュマスターダイスケに大差で勝利?【ラッシュデュエル】


簡単に説明すると低級モンスター、上級モンスター、効果門スター魔法、罠、などのカードを40枚ほどのデッキとして組んで、闘うゲームです。

様々な効果や能力があって、人気なカードもあれば人気のないカードもあり、交換し合ったり、カードショップで購入したりもできます。

「強いデッキ」のようなテンプレートもあって、そのとおりに組んでいけばあるていど勝てるみたいなところもあったり、自分でゼロから誰も作っていないようなデッキを開発して友達を驚かせるのも醍醐味だったりもします。

けど、遊戯王をやっていても「楽しんでいる人」と「楽しんでいない人」がいますよね。

自分の頭でデッキを組むのが苦手な人もいる
お金がなくて新しいカードを買えなくてつまらない人もいる
現実の力関係で理不尽なカード交換をさせられる人もいる
友達が少なくていろんな人と交流できない人もいる

1人でコレクションしてるだけで楽しい人もいる
勝つのが一番楽しい人もいる
勝てなくても一緒に遊ぶだけで楽しめる人もいる
カードゲーム自体は好きじゃないけどみんなと仲良く遊べるから楽しんでいる人もいる
戦略的に考えてデッキを組んで、大会に出たい人もいる

強くなりたい、いろんなカードが欲しい、みんなと遊びたい。など、いろんな欲求があるけど、その欲求が満たされるから「好き」だし「楽しい」と考えることができます。

でも、

新しいカードが欲しい、けど、お金がない。だからお手伝いをもっとやってお小遣いをふやしてもらうとか
もっと勝てるようになりたい、けど、お金がない。だから頭を使ってデッキを開発したり、友達に必要なカードを交換してもらうとか
もっと勝ち続けたい、けど、勝ってばかりいると友達のやる気を無くしてしまう。だからたまに負けないといけないとか
もっと知らない人と闘ってみたい、けど、人見知りだから声を掛けられない。勇気を出して声を掛けてみるとか

好きなことをしている中でも、我慢とか、努力とか、交渉とか、勉強とか、人間関係とかあります。

あいつはズルをしているとか、あいつはムカつくからみんな遊ぶなよと言われたりとか。

料理も、野球も、書道も、空手も、絵を描くのも、なにをやっても、そういう苦しさってありますよね。

「生きていく」って考えると大き過ぎることかもしれませんが、「自分がどうやって、売り物をつくって、売って、稼いで、生活を立てて、社会に貢献するか」そして「その時に訪れる壁や障害、自分自身の恐怖や不安をどう乗り越えるか」と考えると、遊戯王のデッキを組むのや、友達と闘うのと似てるなあと思ったりもします。

なにをしていても、痛みがある

自分と向き合わないといけない。
自分の未来に責任を持って未来を考える。
自分がするべきことを自分で考えて決める。
「普通の価値観」から外れる覚悟をする。
人に嫌われる覚悟をする。
人に否定される、拒絶される覚悟をする。

って、「痛み」があるんですよね。

今のままなにもしなければ、新たな悩みや不安は生まれないのにわざわざ自分から動き回って「状況を良くするかもしれないし、悪くするかもしれない」「人から好かれるかもしれないし、嫌われるかもしれない」から。

部活動で部長をやるのだって人間関係がつらくて毎日泣いて過ごす日々がありますよね
飲み会の幹事も、返事をしてくれない人がいたり、お店に文句を言う人がいたり、めんどくさいです
10人くらいの人の前で自分の意見を言うのだって、否定されないか、反論されないか、不安になります
恋愛も、どうせ別れることになるなら最初から好きにならないほうがマシだ、って思うことがありますよね

人は損失を回避したい

ノーベル経済学賞を受賞したユダヤ人の行動経済学者、ダニエル・カーネマンは『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか』において、プロスペクト理論を提唱しています。

質問1:あなたの目の前に、以下の二つの選択肢があったとしてどちらを選びますか。
選択肢A: 100万円が無条件で手に入る。
選択肢B: コインを投げ、表が出たら200万円が手に入るが、裏が出たら何も手に入らない。

質問2:あなたは200万円の負債を抱えているものとする。そのとき、どちらを選びますか。
選択肢A:無条件で負債が100万円減額され、負債総額が100万円となる。
選択肢B:コインを投げ、表が出たら支払いが全額免除されるが、裏が出たら負債総額は変わらない。

質問1では、多くの人は選択肢Aを選びます。確実に手に入る100万円を選択するわけです。

質問2に対しては、多くの人が選択肢Bを選びます。負債が全部なくなるかもしれないほうが魅力的だからです。

これは価値獲得の確率で言えば、同じ話をしています。
質問1では
100%×100万円=100万円
50%×200万円=100万円
です。

しかし、利益が入らないというリスクを回避したいという心理によって、人は100%でもらえる100万円を選びます。

また、質問2では今手元にある損失をすべて手放したいという心理から選択しやすくなるのだそうです。
この実験では、たいていの人は金額が同じ場合、利得の喜びよりも損失の痛みを感じやすいことを立証していて、この傾向を「損失回避バイアス」と名づけています。
数字的には、失うストレスは得る喜びの2~2.5倍も強いのだそうです。

『インベスターZ』の2巻でもプロスペクト理論は紹介されています。投資部の1年生財前は初めて買ったゲーキチ株が11%上昇をしたことで利益は3億円。先輩には「早く売れ」と言われるものの、「もっと上がる」と欲を出して待っていたら株価は急落。



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ゲーキチ株の急落を知った先輩たちは「こういう時は大抵思考停止になるものだ」と財前の心理状態を推測しますが、予想に反して財前は自分の判断で損失が出る前に売りぬくことができました。



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プロスペクト理論を投資家心理にあてはめると、人は最初に50万円損したときのよりも追加で50万円損しているときのほうが心理的苦痛は小さくなるのだと紹介されます。



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そして財前は「株は買うことよりも売ることのほうが重要だ」と学ぶのです。

株という遠い話ではなくとも、身近ないたるところで「損失を回避したい」「利益を得るよりも、損失が減るほうがいい」という心理状態になることは人は多々あります。

好きなことをしていてもわがままができるわけではない

好きなことをやっていると、自由でわがままにできるんじゃないか、いう想像や期待は、実はそんなことはなくて、そもそも人はなにをしていても苦痛を感じてしまう生き物なのですし、自由こそ責任がすべて自分に帰属するので苦しい時があります。

すべてが自分の経験になっているので一面的に「苦しいこと」「嫌なこと」と切り捨てることは無意味ですが、いくつか紹介してみると

・茶畑のバイトに行ったとき、体力はない、力もない、マニュアル車(軽トラ)も運転できないので「君は雑草を食べてくれるヤギよりも役に立たないね」と言われたこと
・たまたま居合わせたおじさんに「抹茶くらい俺でも点てられるのに、そんなんで金を稼ごうとしてるなんて甘すぎる」と言われたこと
・「そんなことやってるのは人生の無駄遣いだよ、もっと社会に貢献できたり有名になったりお金を稼げることをやりなよ」と会って5時間で言われたこと
・2年くらい会っても話してもいない後輩に悪口を言いふらされていたこと
・パーティでお茶を点ててくれと言われて大きなスーツケースに割れ物のお茶のセットを持って行った結果、100人のパーティで2人だけがお茶を飲み、1000円の売り上げだったこと
・「20代で茶人を名乗っているなんて、私はもう40年はやってるけど、茶道を胸を張って語れないよ(おこがましいよあんたは、という意味)」と突然言われた
・「交流カフェ」として開催するも、3か月くらいは毎回3人くらい来るだけでなんの「交流」も発生しなかったこと
・今年の4月にも過労で扁桃腺が腫れて39度の熱で1週間寝込んだ後に1週間入院。

などです。


僕は借金などはしていないので激しいエピソードなども特にありませんが、人並みに「みじめな思い」はしている自負があります。
過労による扁桃腺の腫れはクセになってしまって、今でも身体が疲れるとパンパンに腫れています。摘出手術しようかな、と思っています。

また、「嫌なこと」のエピソードを紹介しようと書いていて思ったのですが「嫌なこと」はあまり思い出せません。すみません。瞑想をしているからだと思います。

瞑想で「嫌なこと」を静められる理由

Googleの元エンジニアが瞑想研修で行われている内容を本にまとめた『サーチ・インサイド・ユアセルフ』では瞑想をすると、心がリラックスして、隙のない状態になる。と言っています。

瞑想をするとはどういうことなのか?は深淵な内容になりますが、元エンジニアが書いた本なのでスピリチュアル的な言い方ではなく、科学的論理的な説明がされていていい本ですが、この本で引用されている、たとえ話があります。

水の入った壺があって、底には澱(おり)がたくさんたまっている。その壺をたえず揺すっていたら、水は濁る。だが、揺するのをやめてそっと床に置いておけば、水は鎮まり、しばらくすると全部そこにたまり、水は好き通る。これこそが、リラックスしていて、しかも隙のない心の状態を表す古典的なたとえだ。この状態では、壺を揺するのをやめるのと同じように、心を揺り動かすのをやめたわけだ。やがて水が鎮まり、好き通って見えるのと同じで、心も穏やかで明瞭になる。

と。

澱というのはゴミのようなものですね、泥でもいいかもしれない。そうして汚れている水は、嫌なことや不安なことがある人間の心のたとえです。人は「あれが嫌だった」「これがムカついた」と何度も反すうして嫌な気持ちを増大させてしまいがちです。過去のできごとでも何度も思い返して嫌な気持ちになることができます。

瞑想は「嫌な気持ち」が渦巻いた心を静かに整え、心の底のほうに静かに沈める作業なのかもしれません。

SIY(サーチ・インサイド・ユアセルフ)の講師、イヴォンヌ・ギンズバーグは瞑想の単純なやり方について、こう提案しています。

大きく息を吸い込み、胸郭を引き上げます。背骨の位置をそっと保ったまま、息を吐きだし、肩の力を抜いて下がるのにまかせます。こうして、川の流れと山の安定感を同時に体現するのです。

難しいことは考えず大丈夫です。
・目は閉じていてもいいし開けていてもいい
・座禅の姿勢にこだわらなくてもいい
のです。

僕は毎日、胡坐で座って、呼吸に注意を向けて、1から9まで呼吸を数えて、10までいったらまた1から繰り返して数えるだけの瞑想をしています。

いくつかの目的によって種類もあるのですが、まずは基本的なマインドフルネスの習慣をつけることをおすすめします。

生きていると、嫌な出来事もあればいい出来事もあります。前述の「損失回避バイアス」で紹介しましたが、失ったストレスは得る喜びの2~2.5倍も大きいという考え方を使うと、負の感情は正の感情2個~2.5個分の大きさがあると考えることもできます。

喜びや嬉しさ、楽しさにフォーカスして、悲しみや苦しみと言ったネガティブな感情よりもポジティブな感情を優先して3倍くらい数えるようにすると、いいかんじなのだと思います。

結論、なにをしていても嫌なことはあるし、良いこともある。という話でした。
どっちにしても同じなら、好きなことをしているうちに生まれてきた嫌なことのほうが我慢できるかな、というかんじでやっています。

今度から、浜松駅のザザシティで「コトを起こすすべての人」をサポートするFUSEというコミュニティのドリンクを担当することになりました。

www.fu-se.jp

自分と向き合うためのお茶
マインドフルネスのためのお茶
人に喜んでもらうためのお茶
など、お茶の可能性を探りながら、提供します。

「好きなこと」をはじめたい人を応援しています。

好きなことで生きていくのは難しいことではない。茶人として活動して5年目に差し掛かって考えること


僕は2016年の大学卒業のタイミングから「茶人」と名乗って活動しています。2020年で5年目。今では6000人以上の方にお茶を対面で提供してきました。



「好きなことで生きていくぞ」というよりは「自分でも生きていける方法を模索しなければ」というポジティブエスケープで生き延びてきたというかんじがあります。

ただ、「会社以外で生きていける気がしない」「好きなことで生きていきたい」という相談を受けることが増えてきたため、そのテーマで書いていこうと思います。


2018年9月からは静岡県のとある町の地域おこし協力隊としても活動していて、福祉施設でも呈茶や、町なかの蔵を利用したカフェイベントの開催、民家を借りてリノベーションをする活動などをしています。

そもそも、好きなことで生きていくのって難しいんじゃないの?という質問については、これは本当に人によります。自分の場合は大学卒業時点ではおそらく会社に入って生きていくほうが難しい選択であったと感じています。

毎日定時に同じ場所にいることができる
毎日同じ人たちとコミュニケーションをとることができる
人から受けた指示をきちんとこなす
理不尽にも耐えて謝罪することができる

など、これらの能力が自分には欠けていたからです。


これらの能力は義務教育課程で身につける、想定された社会を維持するために基本的に必要な能力なので、ないとなると、想定された社会からのはみ出し者というわけで、めでたく社会不適合者であります。

想定された社会に不適合であっても、それぞれが自分に合った生き方をできたらいい、その手段が会社員でもフリーランスでも、アルバイターでもいい、とぼくは思っています。

会社員がいいわけでもない、独立起業フリーランスがいいわけでもない

よく「会社員なんて退屈でつまらなくて、自分の人生を生きているとは言えない」という人がいますが、自分の時間をお金に換えられるだけでも素晴らしいことだと思っています。

会社員をやれるならやりたかった、と思います。

とは言え、会社員だけが生き方ではない時代になってきています。最近では終身雇用制度も破綻し、副業を解禁している会社もどんどん増えてきているので「会社だけに依存している」のは良い生存戦略とは言えないのも事実でしょう。

平成30年6月29日に厚生労働省職業安定局が出した『我が国の構造問題・雇用慣行等について 』を見ていると、世界に比べての「失業率」は低いことが明らかになっており、一見するとアベノミクスの経済効果とも言えますが総務省の『労働力調査 (詳細集)』を見れば非正規雇用者の数が増えていて正規雇用者はそんなに増えていないということも分かります。

『我が国の構造問題・雇用慣行等について 』https://www.mhlw.go.jp/content/11601000/000358251.pdf
労働力調査 (詳細集)』https://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/4hanki/dt/pdf/gaiyou.pdf



ジャスティンビーバーが言及したことで世界的に流行したピコ太郎も一瞬で消費されてしまったこととか、タピオカの流行も数年しかもたなかったように、インターネットの普及で最新情報が広まって、ありきたりなものになり、飽きられてしまうという一連のサイクルの速度が異常に早まっているのも原因で、コンテンツの寿命が短くなったのは明らかであるなら、同様に企業の寿命も短くなったり、人間の健康寿命が伸びたりしたおかげもあって人間の働ける年数のほうが企業の寿命よりも伸びてしまったという背景があるのではないでしょうか。

正規雇用よりも非正規雇用のほうが企業の負う責任が少ない(無い)ということもあり、副業解禁を皮切りに、非正規雇用者の増大していく未来も見えてきます。

ウーバーをはじめとしてこれからどんどんシェアリング・エコノミーが進んでいく未来が迫ってきていますが、自分の知識やスキルにうまく還元しないと、単なる割の良い一時的なバイトになってしまうので、そのあたりは労働者としても考えていく必要もあります。

また、非正規雇用のたとえばウーバー(個人タクシー)を例にすれば、責任が個人の事業主に帰属することで、犯罪の温床になりやすいのではないか、との見方もあるようです。

経済評論家の三橋さんのブログはおすすめです。

そもそも、ドライバーを従業員ではなく、個人事業主として扱い、管理しないことで利益を膨らませるのがウーバーを初めとするシェアリング・エコノミーの肝です。危ないドライバーの車を停めてしまい、犯罪にあっても、
「そりゃあ、顧客の自己責任」」
 でございますよ、ハイ。

ameblo.jp



いろいろ考えることはあるとしても、最適解としては「個人の価値を最大化する」に尽きる、ということでしょう。

このあたりのことはイギリスのロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットン教授著『ライフシフト』でも検証とともに未来のシナリオが提案されていますが、要約すると以下のような状況です。

■長寿化による経済面へのインパクト: 70代、または80代まで働かなければならなくなる。また、企業年金制度を設ける企業が減り、公的年金が財政面で持続困難になることで、老後の生活資金を蓄える個人の責任が重くなる。
今までの時代の生き方では、100歳を超す人生を経済的に支えられない。

■雇用の変化: シェアリング・エコノミーやギグ・エコノミーといった新しいエコシステムの登場により、企業で働く以外の働き方が増える。
また、テクノロジーの進化も影響する。AIやロボットによって古い職種は消滅し、新しい職種が出現する。雇用を奪うだけでなく、新たな雇用も生まれる。

■マルチステージの人生: 教育→仕事→引退というこれまでの3ステージの人生から、複数のキャリアを経験する人生に変わっていく。
キャリアを上手に移行していくことは避けて通れない。また、そのための投資を怠ってはならない。
新しい役割に合わせて自分のアイデンティティやライフスタイルを築きながら、新しいスキルを身につけるための投資が必要になる。
また、人生全体を貫く要素がなにかを意識的に問わなくてはならない。変化し続けながらも自分の本質とはなにかを問い続けなければならない。

■三つの無形の資産: 
①生産性資産。人が仕事で生産性を高めて成功し、所得を増やすのに役立つ要素のこと。スキルや知識など。
②活力資産。肉体的・精神的な健康と幸福のこと。友人や恋人、家族との良好な関係もここに含む。
③変身資産。 100 年ライフを生きるための変化や変身を遂げるために必要な資産。深い自己理解、多様性に富んだ人的ネットワーク、新しい経験へのオープンマインドなど。

■新しいステージ: 以下の3つのステージは、あらゆる世代の人が実践できる。これまでのように決まった年代特有の要素が、幅広い年齢層に分散する。
エクスプローラー…周囲の世界を探査し、そこになにがあり、その世界がどのように動いているか、そして自分がなにをすることを好み、なにが得意かを発見していく。興奮、好奇心、冒険、探査、不安といった要素がキーワードになる。
②インディペンデント・プロデューサー…職を探す人ではなく、自分の職を生み出す人。ものごとを生み出すこと、そしてそれを通じて、障害を克服できる行動指向の人物という評判を確立する。永続的な企業をつくるわけではなく、あくまで独立した立場で一時的なビジネスを行い、有形の資産ではなく、無形の資産を充実させていくことができる。
ポートフォリオ・ワーカー…さまざまな活動に同時並行で取り組む。仕事、学び、プライベートのバランスをとる。すでに人生の土台を築いた人がこの生き方に魅力を感じることだろう。所得の獲得を目的とした活動、地域コミュニティとのかかわりを主たる目的とした活動、趣味を極める活動など、さまざまな活動にさまざまな動機で取り組む。

■お金の問題: 引退後に必要な金融資産の構築に、自己効力感(自分ならできるという認識)と自己主体感(みずから取り組むという認識)をもって取り組むべき。
具体的には、投資対象を分散させ、引退が近づいたらポートフォリオのリスクを減らし、市場価値の最大化よりも引退後に安定した収入の確保を重視する。

■人間関係の変化: パートナーとの間には取引的性格を持つ関係から、純粋にお互いに恩恵をもたらすからこそ維持される関係に変容していく。
重要なのは、「相手と深く関わろうという意思」。また他の年代との関わりで固定観念をやぶることも重要。

■企業の課題: マルチステージ化する人生を理解した上で、働き方や制度、人材に対する評価を改めることが必要

ライフシフト』を参考にしながら、「自分の現在のステージ」を意識しつつ、戦略を考えていったほうがいいのかな、と思います。

今の日本では新卒社会なので、新卒入社できる人はしたほうがいいでしょう、できない人はできない人生をやっていくしかないですが。

そう考えると。サラリーマンをやりながらいろいろな経験をしたり、社内ベンチャーを立ち上げたりしつつ経験を稼ぎ、経験を活かして副業でお金も稼いで、相互作用的に個人の価値を高めていって、副業のほうが稼げるようになってきたらピボットしていき、人間関係を維持しながら独立して起業をするというやり方ができるのが最高だな、と思います。

そんな人たちもインターネットではちらほら見かけて尊敬してはいますが、全員が全員そうなるのは厳しいですよね。ぼくは無理です。

好きなことで一時的に生きていくだけなら難しくはない

サラリーマンを辞めた後で「どうやって生きていくか」を想像するのは難しいと思うので、いくつか自分の経験も踏まえて話します。

一言でいうと「好きなことで一時的に生きていく だけ なら難しくはない」という話です。

理由は三つあります

理由1 好きなことは時間をかければ得意なことになる
理由2 得意なことは人に価値を提供できる
理由3 固定費を下げれば生活はできる

理由1 好きなことは時間をかければ得意なことになる

僕の場合は「茶道」が好きなことでした。
「茶道」ってなにをしてるの?という疑問が沸くと思いますので簡単に説明します。

僕の茶道との出会いは大学生になってからです。



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大学茶道と言っても各大学によって内容が違うのですが、僕の大学の茶道部の場合は学生主体で稽古をして、春夏秋冬にお茶会をします。お茶会ごとにリーダーがいて、部長とリーダーが季節ごとの「お点前」を家元の道場に習いに行きます。

お茶会ではその習ったお点前を披露します。お茶界にはOBの方々や他大学の茶道部員にハガキを出してお招きします。お茶会の会費は500円や1000円で、あまりにもお客さんが少ないと会場費が賄えなくて部費の貯金を切り崩すことになります。だからお客さんは増えたほうがいいので、飲み会や他大学の開催するお茶会に行って仲良くなって誘ったりする。

というそんな流れになります。

茶道というと千利休のイメージが強いと思いますが、千利休などがやっていた時代は、茶室も設計して、建てて、庭もつくり、茶碗も陶芸の職人につくらせていました。

織田信長豊臣秀吉との付き合いも考えれば、千利休は政治活動にも参加し、経済活動を行い、文化活動をする、というようなかんじでした。千利休は当時の社会の一大ムーブメントである「武力での殺し合い」や「天下統一」に不参加でありながら社会の頂点を獲った人物なのです。

大学生活の4年間はほぼその「茶道(部)の活動」に費やしました。
累計で言うと単純に5000時間くらいだと思います。



1年生のころは歩き方、座り方、茶碗の持ち方、動かし方など、基礎的な部分から、抹茶を点てるまでの一連の所作であるお点前を学び、覚え、何度も反復して身に着けました。

2年生になると教える立場になります。教えるために文献を読み、掛け軸の読み方や意味を調べたり、焼き物の勉強をしたり、他大学へのお茶会に参加して仲良くなって自分たちへのお茶会に来てもらうようにコミュニケーションをとったりしました。
お点前の美しさを極めるために動画で撮影して稽古していきました。

3年生になるとさらにお茶会の企画からやっていきます。予算を考えて茶室を選ぶ、茶会の道具組を考える、茶会のメンバーを選定する、家元やOBに指導の依頼を依頼したり、全体的な指導の内容やペース配分を考えたりします。

4年生になると茶道部は引退だったのですが、卒論を茶道の歴史で書いていたので、個人的に他大学の茶道部の茶会にお客さんとして行ったり、部室でひっそり稽古をしたり、他流派の人とお互いの流派のお点前を教え合ったりしていました。


こう考えていくと「なにが得意」なのかははっきりしませんが、「茶道」のうわべの部分についての知識や経験はあり、人に教えられるようにもなり、自力で茶会を開けるようになっていました。



就職活動をするためにビジネス書などを読んでいたら、ビジネスの流れはおおまかに「コンテンツ企画」「コンテンツ作成」「営業」「販売」のプロセスであると学びました。そこで「今までやってきたことだ」と感じ、会社に頼らずとも生きていける兆しを発見したのでした。

以上は自分の「茶道」における経験でしたが、人は「何時間もやれば自然に上達する」ものです。ゲームでもスポーツでも、上達する人は上達しない人に比べてプレイ時間が圧倒的にあります。

イギリス生まれでアメリカ在住のジャーナリスト、マルコム・グラッドウェルが世界の成功者の共通点を分析した『天才!成功する人々の法則』で提唱された1万時間の法則にもあるように、知能と成功に相関関係があるのではなく、臨界点を超えるまで努力の時間を注ぎ込めたかが重要だということです。

能力だけで言えば1万時間やるとプロの中でもトップになれる、ということが研究結果で分かっているようですが、周りの人と比べて得意かどうかという話で言えば、1万時間も必要ないでしょう。自分が所属する集団の中での能力と経験が秀でていれば、その領域を出た時にも「得意」と認識されます。

理由2 得意なことは人に価値を提供できる

「得意」であれば誰かしらに価値提供をすることができます。あとはその「誰かしら」を見つけるだけです。

茶道の場合は「日本人なのに日本文化を知っていると胸を張って言えない」という人や「海外の人に日本のおもてなしをしたい」という人、「海外の人が日本にきたチャンスに体験してみたい」という需要がありました。



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自分がやる意義としては「若いから気さくに質問をすることができる」ということがあったようです。年季の入った貫禄のある先生の前では正座も崩しにくいということです。

また、「おいしい抹茶」を点てられます。
抹茶はよく「和菓子がないと苦くて飲めない」という思い出も持っている人が多いのですが、質の良い抹茶を選んで、温度を調整して、粉をよく溶かすようにすればおいしい抹茶を飲むことができます。料理と同じと考えてください。



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そして、「お茶や茶道の文化の話」を分かりやすく話すことができます。
お茶会の一番の御馳走は「お話」であると学んだので、自分が発見したお茶にまつわる話をして楽しんでもらう機会をつくっていました。



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理由3 固定費を下げれば生活はできる

一時的に生きていくだけなら、固定費を下げるべきです。
僕の場合は東京の墨田区のシェアハウスに住まわせてもらっていました。



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家賃は4万円くらいで、ガス光熱費込みでした。洗濯機や調理器具、食器なども揃える必要がなかったので初期費用が抑えられて安く済みました。

食事は基本的に自炊をしていました。時間があるなら、料理は娯楽にもなりますし、技術の習得さえ無視すれば金銭コスト的には外食の10分の1から5分の1程度ですみます。




大学を卒業してから実家を出て、毎日食事をつくるようになったのですが、料理スキルもなく、炊き込みご飯と味噌汁ばかりでした。それでも必要な栄養は摂れていたはずで、死ぬこともありませんでした。研究のためですがお茶も毎日飲んでいましたし、茶葉もお浸しにしたりごはんに混ぜたりして食べていたことも栄養面での補填になっていました。

2年くらい自炊をしていたら色々作れるようになって、ポトフやカレーやペペロンチーノもローテーションしていました。


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また、シェアハウスなら自分から人に会いに行かなくても様々な人が出入りしていて、出会いが多くありました。そのたびに「神崎君は茶人なんだよ」と紹介してくれるので「では一服お茶を点てますよ」とPRする機会になっていました。
そのつながりで仕事をいただいたことも何度もあります。営業費用の削減でもあります。



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友人と遊ぶときは基本的にはお茶を飲みに来てもらっていました。お金をとるわけではなく、単純に新しく研究していたお茶を飲んでもらったり、話したりしていただけですが、社会人になるとお酒を飲みに行くくらいしか遊びがないというような人もいますが、僕の場合は「お茶の研究をしている」「茶人をしている」ということで、「一緒にお茶をする」が遊びになっていました。そのおかげもあって幸か不幸かほとんど飲み会にも誘われることなく、遊ぶ人とはお茶を飲んで過ごしていました。交遊費の削減にもなっていました。

普段はお茶のカフェを巡ったり、本を読んだり、話を聞きに行ったり、知人の庭づくりを手伝ったり、YouTube撮影の手伝いをしたり、浴衣イベントの企画や撮影やモデルをしたり、お茶が水を吸うところを1時間くらいずっと眺めていたり、茶道教室をしたり、イベントでお茶を点てたり、茶畑の見学やお手伝い、イベントでの茶農家さんの手伝いなどをしてました。



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忙しくはないものの、人のツテであいまいなお金を稼いでいたので生活だけはなんとかなっていましたし、人の出張についていって旅行気分も楽しめたので不自由のない生活をしていました。
具体的な話をすると、稼ぎは月10万から15万くらいでした。

好きなことで生きていくのはゴールではなくスタート

三重県の鳥羽のホテルでウェルカム抹茶を点てる仕事をしたり、イベントで抹茶を点てることをしていて、理想的な生活ができるようにもなっていったのですが、100歳頃まで生きてしまうと考えると「キャリア」をどう創っていくかということが問題になってきます。

好きなことで生きるのは、ゴールではなくただのスタート地点の話、あるいは途中の話だからです。

今は、これからのキャリアのためにも、静岡県の田舎で物件を購入してリノベをしたり、浜松の駅近くのショッピングモールに出店する話をいただいていたりということがあるので、がんばっていきたいと思っています。

浜松のザザシティに2020年6月にオープンしたFUSEという、すべての「コト」を起こす人を応援するコミュニティでお茶を出します。

www.fu-se.jp


好きなことを本業として生きたい人は生きられるように、本業以外でも好きなことで社会とかかわりたい人はそうなれるように、応援しています。

最後に、不思議の国に迷い込んだアリスの話をさせてください。

彼女はチェシャ猫にこう尋ねました

「どっちの道を行くべきかしら?」

チェシャ猫の答えはこうです。

「おまえさんがどこに行きたいかによる」

これは「どう生きていくべきか」という問いへの答えでもあるのではないでしょうか。

参考文献

天才!  成功する人々の法則

天才! 成功する人々の法則

茶大百科〈2〉栽培の基礎/栽培技術/生産者事例

茶大百科〈2〉栽培の基礎/栽培技術/生産者事例

  • 発売日: 2008/04/01
  • メディア: 大型本
茶人物語 (中公文庫)

茶人物語 (中公文庫)

茶の湯と日本文化

茶の湯と日本文化

不思議の国のアリス (角川文庫)

不思議の国のアリス (角川文庫)

「できる」「できない」は人間的な価値になんの関係もない。

減点法で生きないほうがいい。

〇〇ができないなんて人としてだめだ、からは距離を取らないと、最後には人生をやる資格がないなんて話になっていってしまう。

 

こんな簡単な仕事ができないなんて。料理もできないなんて。手続きもできないなんて。

 

人間は社会的な動物なので、社会的な上下関係をつくるためにマウンティングをする。自分ができて相手ができないことを発見すると、嬉々として見下す場合がある。

 

嫁姑問題の話を聞いてると「きれいなお弁当もつくれないなんて」とか「掃除もまともにできないなんて」とか言われるらしい。

 

「できない」人がいるから「できる」人に価値が生まれるのであって、みんなが「できる」ならなんの価値もない。呼吸ができてもすごくはないし、心臓が動いていてもすごいとは誰も思わないように。

 

本当は呼吸が自力では難しい人だっているし、機械を使わなければ心臓を動かしていられない人もいるのだけれど、99.99%の人が自力で無意識にできるのですごいと思われることはない。

 

現代においては満員電車に乗って会社に通勤できるとか、毎日人と会話ができるとか、毎日きちんと服を着れるとか、そういう能力があたりまえで誰でもできるのだと思いこんでいる人が多い。

 

できない人は「社会不適合者」というレッテルを貼られることになるのだけれど、社会はそもそも人が人のために作ったもので、社会に人が適合していくのはなんだか目的と手段が入れ替わっているような気がする。

 

人のために社会があると考えれば、満員電車に乗れない人や、人と会話をするのが苦手な人や、朝起きられない人に対してのアプローチをすべきである。

 

もちろん聴覚障害視覚障害、手足の欠損を持った人々に対してのフォローやケアも重要であるし、社会に完全に適合している「できる」人たちと「できない」人たちとの間にあるグラデーションを埋める取り組みはもっと行われてほしいと思う。

 

最近の研究で聴覚障害の人は聴覚が遮断されている代わりに資格情報の取得が鋭敏になって、周辺視野が健常者よりも広くなる(場合がある?)と明らかになったらしいというのを読んだけれど、なんらかの能力が欠如している代わりに何らかの能力が余分にある場合もあるだろう。

 

ただ、その文脈でいくとやはり「できる」ほうが偉いという価値観の中での話になっていくので、そうではなく、いるだけで価値があるという価値観が徹底されるといい。

 

ただ、家族や周囲の人たちが、「できない」人のために時間を割いたり労力を割いたりするのが大変で、まったく無関係な人が無責任なことが言えるのだろうという指摘もある。

 

それは半分そうで、半分そうではないと思う。誰しもが生きている以上、「できない」人になる可能性をはらんでいる。交通事故かもしれないし、虫によるなんらかの影響かもしれないし、ウイルスによる影響かもしれないし、自然災害かもしれない。

 

今、「できる」人が、体も心も健常で何もかもがうまくいっていて、目標があって、努力をすれば努力が実って、自己実現に猛然と向かうことができるのは奇跡のような時間なのだ。明日には全く違った人生が突然始まるかもしれない。

 

だから、自分のためにも「できる」とか「できない」で人の価値を測って、上下関係をつくったり、助けるか助けないかを決めたり、優しくするか優しくしないかを決めるのはやめたほうがいい。

 

まあ、できないよりは、できたほうがいいのは間違いないのだけれど、それは人間的な価値とはなんの関係もない。そういうことは覚えておいてほしい。