Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

柳田邦男と田山花袋。文学との交わり。

柳田さんは、旅が好きだったようですが、それは田山花袋の影響だったそうです。田山花袋と言えば『布団』が有名で、一度読んだことがありますが年の離れた若い女の寝ていた布団の臭いを嗅いで興奮していたおじさんというイメージしかありません。しかし田山花袋は当時流行りだしたばかりの西欧小説なども読んでいたらしく、かなりインテリだったのだなあと思います。

 


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柳田さんが16歳、田山花袋が19歳の時に出会い、それ以来よく一緒に旅をしたそうです。日光でも一緒に生活をしたと。仲良しですね。そして当時文学青年のあこがれの的だった尾崎紅葉にも一緒に会ったものだと書いています。


『友の話』として、ほかにも泉鏡花森鴎外など、名だたる文豪たちと交流していたことが明らかにされています。


私の友人曰く「柳田国男柳田国男学と言われるゆえんは、彼の文学的素養が大きいのではないか」だそうです。


高校時代から文豪たちにまざり、ロマン主義雑誌の「文学界」に投稿していたこともあり、文学的素養の根拠になるが、島崎藤村田山花袋の属する自然主義文学派、というか、人間の行動を客観的に描くことをよしとするような、ロマン主義からの脱却という時流にある中で、柳田国男の『遠野物語』も柳田国男なりの自然主義文学だったのではないかと思う。

と、友人は語っていました。


文学の流れで行くと、『布団』は良くも悪くも衝撃が大きかったようで、自然主義とは現実を赤裸々に暴露するものだと解釈されるようになったところがあり、私小説のように矮小化されたと見る場合もあるそうです。


なるほど、そういう目で見ていくと、遠野物語というのは「柳田国男が様々な書物を読み、日本の各地に現存している風俗文化をフィールドワークし、客観的立場で、かつ文学的に描いたもの」だったのだなあと思うものです。


柳田国男は乱読家であったということも知られていますが、遠野物語でも、石臼に米いれてまわすと黄金になって出てくるが、強欲にたくさん米をいれたら石臼が壊れてしまったというような話の時に『似たような話が西洋にもあったなあ』などと書いているので、莫大な情報を持っていたのだと、あらためて感心します。


西洋のことなども、西洋文学を読むような友人と話をしたりして知見を深めていたのだろうと思うと、つくづく、興味関心や、方向性の似ている友を持つというのは大事なことだと、つきなみな感想ですが、そう思います。


文豪になるような人はインテリで偏屈で変態なおじさんだとイメージが先行してしまいがちですが、エピソードなど読むと、実は自由奔放で人づきあいもかなり幅広くやっていたのだとうかがい知ることがありますね。