Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

情報発信をしていたら新聞の取材を受けた。そして考えたこと。


日記。

今日は日経新聞の取材を受けた。

以前に「コロナで地方移住は進むのか問題」について静岡県西部地域局の方々とオンライン座談会をしていた時に、それを本部の現場で視聴していた新聞記者の方が「神﨑さんの生き方がおもしろい」ということで取材をしてくれた。

まだ、実際に掲載されるかは分からないのだけれど、新聞記者のかたは年齢は自分より2つ上で、物腰もやわらかく、聞き上手で丁寧な人だった。

なにを話せばいいか分からないまま、脱線しているのかどうかも分からないまま話していたら結局2時間半くらいも話し込んでしまった。

いくつか思ったことがある。

1、やはり情報発信は利益につながる。(人に会うのもふくめて)
2、日ごろから、考えていることは言語化しておく習慣をつけておいたほうがいい
3、一番むずかしいこと、それでいて価値があることは「続けていくこと」だ

1、やはり情報発信は利益につながる。(人に会うのもふくめて)

そもそも座談会に呼んでいただいたのも、移住相談員のかたに情報をシェアしていたことがきっかけだ。

移住相談員として活動している人、Mさんにたまたま仕事の交流会で出会い、茶人としての活動や、自分のできること、やりたいことなどを雑談のなかでいろいろ話させてもらったときに「じゃあ、Aさんに会いに行ったほうがいいよ」と言われたことがある。すぐに会いに行った。Mさんのアドバイスどおり、会ってよかった。Aさんからイベントで茶を点てる仕事をもらったからだ。

Aさんはひな祭りのイベントの主宰をしていて、寺を使った和風のパフォーマンスをできる人を探していたところでちょうどよかった!と喜んでくれた。30名ほどに計4回ほどお茶を点てる様子を見せるパフォーマンスイベントをおこなった。



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Aさんとはその後も何度もやりとりしているし、AさんはMさんに「神﨑君を紹介してくれてありがとう」と伝えてくれていた。

Mさんからの心象もよく、その後も何度も自分のことをいろいろな人に紹介してくれているらしい。座談会もMさんの推薦だった。

「得になるから」という理由だけで立ち回るのはいやらしい。そしてその腹黒さは必ず見破られる。だからフラットに人に会ったほうがいいし、書いたほうがいい。

しかし、人に会うこと、自分をPRすることはたしかに確実に自分の利益につながるのだ。

会いに行くのが一番大事だと思っているけれど、今の時代はinstagramでもお客さんが来てくれたり、仕事の依頼をしてくれたりする場合がある。

Twitterはなぜかほとんどない。Twitterのほうが頑張っているのに、Twitterを見てあなたに仕事を頼みたいと思ったということは今までほとんどなかった。ブログもそんなに仕事にはつながっていない。instaが一番大事かもしれない。写真だけでも十分に情報があるし、「こういうことができるんだ!」とイメージつきやすいからかもしれない。

情報発信は大事、と言われているけれど、まだまだ使いこなす余地があるなと思う一連の出来事だった。

ストック型の情報は、極端に言えば、寝ている間も営業をしてくれるので、絶対にやったほうがいいと思った。とくに個人事業主で営業が苦手だったり営業まわりの時間がとりにくい人はなおさら。

2、日ごろから、考えていることは言語化しておく習慣をつけておいたほうがいい

今日は新聞記者のかたが気持ちよく話させてくれたので、グダグダと言語化できていないこともその場で考えながら話してしまって、楽しそうに聞いてくれたからよかったのだけれど、大事なことは本当はシンプルなはずで、スパッと言えるように言語化する訓練をしておきたいと思った。

そもそも2時間半も話したことが新聞の1000文字の欄にまとめられるはずはないし、読んだ人も2時間半分の情報量を摂取できるわけではないので、この2時間半は「たのしくおしゃべりしただけ」になってしまう。それはそれでいいのだけれど。

シンプルに簡潔に、しかしオリジナリティのある言葉で伝えられるようになりたいと思った。

経験上、何度も繰り返し、人に説明しようとしたことは、言葉やたとえが研ぎ澄まされていく。

初めて説明することは言葉選びが適切でないし、自分でもしっくりこない感じがある。

日記に書くのもいいのだろうけれど、人に理解してもらうつもりで書く、話すということが重要なのだと思う。人の目を意識することで、言葉選びがシンプルになっていく。

最近はブログを書く時に見出しを付けるようにしたのだけれど、見出しをつけると「自分は何を言いたいのか」がハッキリするので自分のためにもいいことがわかった。

「なにを言いたいのか自分でもわかっていないこと」は「他人ならなおさら分からない」のだ。

3、一番むずかしいこと、それでいて価値があることは「続けていくこと」だ

今まで、単発のイベントは何度もやってきたのだけれど、今は地域で毎週水曜日に交流カフェを運営している。全然だれも来ないで本を読んでいるだけのような日もあるし、1日中満席で、入りきらずに断ってしまうような時もある。

「地域おこし協力隊としての2年間でどんな成果をあげたと思いますか」と聞かれたとき、「成果」とは「過去形」だな、と思った。

つまり、交流カフェであれば「累計で500人来ました」のようなことになるのかもしれないし、「シェアハウスをつくりました」ということになるのかもしれない。それはそれで大事な成果物だ。

ただ、「成果」は他人に「認知してもらいやすくする」ためには必要かもしれないけれど、現実は、「来週も交流カフェを開催する」ことが大事なのだと思った。そしてそれを続けていくこと。

累計人数には還元されない価値が「継続」のなかにある。これはまだぜんぜんうまく言えないのだけれど。

昔は嫁の立場も弱くて子の運動会の時とか授業参観のような時しか家から自由に出られなくてね、とイキイキした顔で話すおばあちゃんとか、キョウリュウジャーの音楽を聴いて踊り出す3歳の少女と一緒に踊る学生たちやそれを見てなごむ大人たちとか。

大きな価値では決してない、けれどたしかにある、ぬるま湯のような幸福感に満ちた時間が本当の価値だと思う。

いつの日か、食べ物が喉を通らないくらいつらいことがあったとき、寂しい気持ちで布団から出られなくなったとき、そんな時に、たしかにあった思い出は、背中を撫でてくれることだろうと思う。今はなんともない、ただの日常の一コマだとしても。

新聞記者のかたの質問の意図はまったく成果主義的なニュアンスではなかったけれど、ビジネスというのは「成果」を求められるものだ、否、成果を出すために逆算して組み立てていくことだ。

ただ、地域活性化という点で見たら、そんな宝物になるような日々をどれだけ多くの人と数えられたか、が大事なのだ、と思う。

先日に書いた「目標がないときつい」というのとは矛盾するけれど、「成果をつくること」と「成果にこだわらないこと」のバランスは大事だ。自分の中で整理しておくことが。とくに。