Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

太宰治の『斜陽』に見る文化資本

太宰治の斜陽を読んだことはあるだろうか。
名家でありながら没落した太宰の実家をモデルにして描かれた小説である。

斜陽について

昭和20年の戦後日本が舞台。
29歳のかず子と母は東京の家を売って伊豆で暮らすことになる。弟の直治は戦争から帰ってきた者の不良ぶって東京で放蕩生活を送る。
直治が尊敬する小説家の上原二郎は酒におぼれている。そんな四人がゆるやかに破滅していく様子を描いた作品である。

ゆるやかな破滅と、滅びゆくなかの美しさ。

着物を売ってでも貴族生活が抜けきらない母とかず子の女二人暮らし。
直治は酒ばかり飲んで遊び惚ける始末。
母の体調も悪化し、生きている理由も亡くなるかず子は「女としての生命」を守ろうと、直治の慕う小説家上原二郎にあなたの子どもが欲しいと手紙を書く。
そして直治は自宅で自殺。
かず子は上原二郎の子を生み、シングルマザーとして子どもを生きがいに生きていく決意をする。

そんな、複雑な心境になる話であるが、作法や、ゆとり、美しさ、品とはなにかを考えさせられる描写がいくつも出てくる。

『お母さま』のスープを飲む描写

たとえばこれ。

「スウプのいただきかたにしても、私たちなら、お皿の上にすこしうつむき、そうしてスプウンを横に持ってスウプを掬い、スプウンを横にしたまま口元に運んでいただくのだけれども、お母さまは左手のお指を軽くテーブルの縁にかけて、上体をかがめる事も無く、お顔をしゃんと挙げて、お皿をろくに見もせずスプウンを横にしてさっと掬って、それから燕のように、とでも形容したいくらいに軽く鮮やかにスプウンをお口と直角になるように持ち運んで、スプウンの尖端から、スウプをお唇のあいだに流し込むのである。そうして、無心そうにあちこち傍見などなさりながら、ひらりひらりと、まるで小さな翼のようにスプウンをあつかい、スウプを一滴もおこぼしになる事も無いし、吸う音もお皿の音も、ちっともお立てにならぬのだ。それは所謂正式礼法にかなったいただき方では無いかも知れないけれど、、とても可愛らしく、それこそほんものみたいに見える。また、事実お飲み物はうつむいてスプウンの横から吸うよりは、ゆったり上半身を起して、スプウンの尖端からお口に流し込むようにしていただいたほうが、不思議なくらいにおいしいものだ」

(太宰治『斜陽』)

後から身に着けた、付け焼刃の作法やマナーではなく、お母さまの教養がにじみ出るような一連の所作。太宰治の描写もすさまじい。

茶道と所作

私は8年前に大学生になって初めて茶道に触れたとき、この『斜陽』の『お母さま」のような「文化資本」が自分には欠落していたのだ、と感じた。

私は自分のことを千葉の団地で育った一般市民であると思っていたけれど、生育環境の面で、親からは所作振る舞いであるとか社交の方法であるとか、そういうものを学んでこなかったことに少なからずショックを受けた。

と同時に憧れを抱いて茶道に取り組んだのだった。

上品らしき振る舞いというのはいつ身に着けても遅過ぎることはない。

歴史的な流れを見て、茶において丁寧な振る舞いをするようになったのは、室町時代頃と考えられている。

禅院の茶礼をまねて茶を点てていた時代は、茶を点てるのは陰でおこなっていた。やがて客の目の前で点てるようになり、貴族が所有している貴重で高価な道具を使うようになったために袱紗で拭くとか清めるといった所作が生まれていったのではないだろうか、と大日本茶道学会会長であった田中仙翁氏も『茶道の美学』で述べている。

そして茶を点てる点前の美しさについてもこのように言及している。

「茶席に坐った客も、亭主の訓練を積んだ点前を見つめることによってすべてを忘れた。集中によって得る心理的な安定感と心の平静さはだれでも経験することであろう」

「飯をすすめ、茶を飲ませる、というきわめて日常的なことを、いかに改まって、しかもさりげなく行うかが、先人の最も心を砕いたところであろう」

所作振舞いを持っていない人は後天的に身に着けるしかない

茶を淹れて、飲むだけの誰もが行う動作を「美しい」と思わせるには「修練」が必要であるというのが「茶道」の立場であると思う。もちろん「美しい」と思わせるというのは極めて一部の意識であって、全体ではないのだけれど。

また、『お母さま』のように生まれながらにして自然に「美しさ」を学べる環境にある人もいて、茶道における「茶会」のように、作法を持っていなければ参加できない社会もある。

家元が開く茶会には政治に携わる人も多くいらしていたし、海外の大使をお招きするときには茶のもてなしをしたいという話も多い。実際に私も何度か海外からいらした方々への茶のもてなしの場を設けたりもした。

人から素敵だと思われたいとか、品の良い人だと思われたいとか、そういう自意識から生まれたモチベーションでは「礼儀」を勘違いしてしまいますよ、という指摘もあるようだが「過去の自分が与えられなかったなにか」を後天的に獲得するのも、充分に素晴らしいことであると思う。

斜陽

斜陽

茶道の美学 (講談社学術文庫)

茶道の美学 (講談社学術文庫)