Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

海で浮き輪につかまって漂流しているようだった

 

人生が100年続く時代だと言われて「ながすぎだろ!」と思ったのが17歳の時だったように記憶している。繰り返す日々を楽しむ術を忘れてしまったのか、あるいは、はじめから手にしていなかったのか、あと83年も生きるためになんとか工夫して自分を楽しませなければいけないなと思っていた。


茶道に出会ったのは18になる時だった。大学生になり、勧誘されるままに茶道をはじめた。足元に落ちた桜の花びらは踏まれて土になりかけていて、見上げた桜には緑が混じってきた季節に。それまで抹茶は一度しか飲んだことがなかったけれど、あらためて飲むと苦くもなく、かと言って甘くもない不思議な液体だと思った。そんな液体が、自分を遠くまで連れていくことになるとは全く想像していなかった。


お茶は人をつなぐ飲み物だと自然に思えた。言葉よりも雄弁にメッセージの伝達ができる道具だと思った。人類は洞穴に住んでいた時代から、焚火を囲んでお茶をしてきて、延々と、家族と、好きな人と、仲間と、敵と、お茶をしてきたのだし、これから先の未来も、たとえ宇宙に生活の場所をうつそうともお茶をし続けるのだと、素直に思えた。

 


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就職、ということを考えたときに「人に価値を提供する」のが仕事の本質だとネイビーのスーツをパリッと来て、髪をびしっと決めた少し年上の社会人が言っていた。「茶をやることだな」と思い、結果的にそうなった。


縁があり地域おこし協力隊としてこの町に住んでからもう18か月で、残り10か月になる。民家を借りてリノベーションのプロジェクトを進めている。順調なのかそうでないのかは、それを計るモノサシがどこにもないので不明で、親と同じ年齢くらいの、高級な飯をたまに食わせてくれる社長の知り合いは「人生を無駄にしてるな」と笑い話か説教か不明なテンションで宣う。

 


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新卒で会社に入らずに生存していくことを選んでからそれこそ最近までは、大海原に浮き輪でつかまって漂流されているような心持ちだった。

今は、明確な目標ができ、仲間ができ、木材でできてボートには乗っているような心持ちだ。たくましく伸びた新茶は今年も美味しかった。行き先はお茶が教えてくれる。