【カメラ散歩】7月3日伊勢神宮(内宮)曇り。へんば餅、まる天、団子。
こんにちは、神崎です。
今日も鳥羽グランドホテルで抹茶を点てていました。7月は半ばをすぎると夏休みが始まるので混むんですが、頭のあたりはかなり空いていて、ゆっくり旅行を楽しむにはちょうどいい時期かもしれません。
少し雨が降ったり、止んだりの鳥羽の朝
ここにいる時だけ相棒のおかげ犬
昼休憩行ってきます。
おかげ参道ですね。通路の中に、お伊勢参りのにぎやかな様子の屏風絵が飾ってある道です。
鳥羽は7月に紫陽花が咲くみたいです。静岡は6月には咲いていましたね。
牛革と、鮫革の小物屋さんに行ってみました。入り口近くだったので。
えっかわいい!!!
藍染の牛革と真鍮の指輪!
買ってしまいました。即決。
歩いていくと、へんば餅。
赤福より、、好きかもしれない。
もちもちの求肥に、こし餡2枚160円。
え?夏限定で、150円の水羊羹を注文したら80円のへんば餅がいっこサービスでついてくるんですか??先に言ってほしかった
気を取り直して。
車で来てなければお酒飲みたかった
風情のある町並みをほろ酔いで歩くの、最高すぎませんか。
飲めないものは仕方ないので、食べます。お団子。
生醤油1本
120円。ふわふわ系のお団子です。もちもち系ではなく
まる天!魚のすり身を、何かと混ぜて、油で揚げた食べ物を売っているお店です
チーズ棒とたこ棒。どっちにするんじゃ?
たこ棒!君に決めた!
指輪の藍染と、暖簾が合いますね。
あ、たこ棒に合いそう。
そして夏〜涼しげ〜
食べ終えてからまた内宮へ。
手水舎のてまえの、橋がかかってる、小さい川。
今日はこっちへ(正宮ではなく)
かぜひのみのみや、でした。
親子みたい
帰ります
荒祭宮(あらまつりのみや)も寄りました。
予約すればガイドさんもいるんですよね!!
町へ。
ところで、そろそろ七夕ですね
願いごとはしましたでしょうか
【料理】張り切り夏のご飯。トウモロコシご飯やかき揚げ。
こんにちは、神崎です
一人で食べる料理は手間をかけずに、食べ終わるまで30分以内くらいですむような、謎のタイムアタックをやっているのですが、友人が来た時はすこし張り切っています。
キュウリの塩昆布あえ
夏の野菜きゅうり。そしてバンノウチョウミリョウふじっこ。
キュウリを切り
ジップロックに入れて適度においておけば一品できあがり。
トウモロコシの炊き込みご飯
とうもろこしを削ぎ落とします。
とりあえず1本分
芯も炊飯器に入れて
できあがり
コーンポタージュってとうもろこしの芯もミキサーで砕いて使ってうまみをとるらしいですね。
塩だけ。あとはとうもろこしのうまみ。
ゴーヤーと玉ねぎととうもろこしのかきあげ
夏の代名詞ゴーヤー
見慣れた切り方
玉ねぎも。
先程のとうもろこしと、小麦粉と、水と一緒に軽く合わせて
油で揚げる
水で締めた湯でうどんにのせて冷やしかき揚げうどん
ラタトゥイユ
オリーブオイルでにんにくをあたためて、香りをうつし
玉ねぎ、しめじをよく炒める
その間にトマトを切って
鍋に投入
水は加えずに、トマトの水分だけ
冷蔵庫で冷やして完成
以上です。
鳥羽に来る前につくったんですが、投稿を忘れてました。
みなさんもよい夏を。
【カメラ散歩】7月2日の伊勢神宮(内宮)曇り。横丁ラーメン、豚捨。
こんにちは、神崎です
7/1から、鳥羽グランドホテルにてWelcome抹茶dayやっています。
午前8:30から10:00と、午後3:00から6:00です。
そして休憩の時間に伊勢神宮に行ってきました。
カメラは富士フイルムXT−20です。
鳥羽グランドホテルから出発
晴れの日も、雨の日も眺めがいいロビーからの鳥羽湾。今日はすこし雨。
車で30分かかりません。
内宮に近い方は満車になりやすく、おかげ横丁の手前はすこし空いてる。1時間以降2時間まで500円。30分ごとに100円追加。
こういうの、なんて言うんだ。トンネル型の階段通路。
降りると、300年前の賑わいのある様子を描いた絵が。
ゆっくり見れば勉強になるけれど、時間がないので急ぎ足で通り過ぎ
パネルはすこしだけ読み
おしゃれなお店がどんどん増えていく
おかげ横丁もうすぐ
まずはお昼ごはんを食べに
ダシがきいた中華そば風のラーメン。チャーシューも美味しい
足りなかったのでもう一軒
薄暗い店内で注文したのは
牛丼でした
お腹も膨れていざ内宮へ
森に飲み込まれそうな鳥居
お清めの手水
五十鈴川。真の手水
緑を往き
陰を見て
奥へ奥へ
生命力を感じる道
池の鯉
町に戻ってきました
木々が呼吸する夏の伊勢神宮。
【読書】谷崎潤一郎の陰影礼賛の要約1/3
こんにちは、神崎です。
谷崎潤一郎の陰影礼賛。
日本文化に興味を持った人が、ほぼ必ずとおるであろう本。
要約をしようと思ったんですが、要約してしまったら良さがなくなるというか、一文字一文字が尊いんですよ。
でも、しかたなく、自分のためにも、この中公文庫の陰影礼賛の、65ページまでの部分を要約することにしました。
関東大震災の後、情緒が失われつつあった江戸の町に対して、日本人がそれまで大切にしてきた美的価値観の真髄を、13の段落に分けて書いてあります。
見出しは、自分なりにつけたタイトルです。
今回は6個目までの要約を載せました。
ライトやガスやコードを日本家屋にどう調和させるか
乳白ガラスのシェードをかけて球をむき出しにした電灯は、自然で素朴だ。汽車から見る景色、茅葺屋根の百姓家の障子のかげに時代遅れのシェードをつけた電球が灯っているのは風流に思う。
扇風機はいまだに日本座敷と調和しにくい。障子は、ガラスを嵌めなければ採光や戸締まりの点で不便だ。
ストーブはまったく日本には合わない。大きな炉に電気炭をいれるのは、費用がかさむが工夫としては成功だ。木造の風呂場のタイルは時間が立つとタイルだけ白くツルツルに光って全体の映りが悪い。
日本の厠は精神が休まるようにできている
厠は必ず母屋から離れて、青葉の匂いや苔の匂いのしてくるような植え込みの陰にあり、廊下を伝っていくがその薄暗い光線の中にうずくまってほんのり明るい商事の反射を受けながら瞑想にふけり、窓の外の庭の景色を眺めるきもちは、なんともいえない。
漱石先生も毎朝の便通を楽しみにしていた。
閑寂な壁、清楚な木目、青空や青葉の色。薄暗と徹底した清潔、蚊のうなりが聞こえるほどの静けさ。四季折々のもののあはれを感じる。
最近は床にタイルをはめ、便器は磁器だ。これではよくない。私の注文としては便器は木製がよい。
もし我々が西洋とは全然別の独自の科学文明が発達していたならば国民性に合致したものが生まれていただろう
もしわれわれが独自の物理学、化学を有していたら、薬品も工芸品もわれわれの国民性に合致するものが生まれてたのではないだろうか。衣食住の様式はもちろんのこと、政治や、宗教や、芸術や実業の形態も、東洋として発展していたであろう。
たとえば万年筆でさえも、日本人か中国人が考案していたなら、穂先は毛筆であったし、インクではなく墨汁だった。紙も西洋紙では不便だから和紙に似た性質のもの。
そして漢字やかな文字に対する執着もつよかっただろう。
わたしは学理的なことは分からないが、ぼんやりとそんな想像を逞しくする。
日本は優秀な文明を取り入れた代わりに、今までの進路とは違った方向へ歩み出すようになった
たとえ緩慢にでも今日の電車や飛行機やラジオに代わるものを、他人の借り物でなく、自分達に都合のいい文明を発見する日があったはずだ。
映画を見ても、フランスやドイツのものとは陰影や、色調の具合がちがう。われわれの皮膚や容貌や気候風土に適した写真術があっただろう。
われわれの音楽も、控えめで気分本位のものであるから、レコードなどにしたら大半の魅力を失う。われわれは声が小さく、言葉数が少なく、なによりも「間」が大切であるが、機械にかけたら「間」は完全に死んでしまう。
そういう点で、われわれは色々な損をしていると考えられる。
東洋の人間は浅く冴えたものよりも、沈んだ陰りのあるものを好む
われわれは西洋紙に対して、実用品という以外になんの感じも起こらないけれど、唐紙や、和紙のキメを見るとそこに一種の温かみを感じ、心が落ち着くようになる。
同じ白でも西洋紙は光線をはね返すような趣があるが、和紙は柔らかい初雪のようにふっくらと光線を中へ吸いとる。折っても畳んでも木の葉に触れているように物静かで、しっとりしている。
西洋人は食器などにも銀や鋼鉄を使うが、われわれはピカピカ光るものを嫌う。かえって表面の光が消えて、時代がつき、黒く焼けてくるのを喜ぶ。
中国人はまた、玉という石を愛するが、あの、妙に薄濁りのした幾百年もの古い空気がひとつに凝縮したような、奥の奥のほうまでどろんとした鈍い光を含む石のかたまりに魅力を感じるのはわれわれ東洋人だけではないだろうか。
日本に「なれ」という言葉があるのも、長い年月の間に人の手がさわってひとつのところをつるつる撫でているうちに自然と脂がしみこんでくるようになる。東洋人は非衛生的分子を大切に保存して、そのまま美化する。
日本の漆器の美しさはぼんやりした薄明かりの中においてこそ本当に発揮される
四畳半の小ぢんまりした茶席で、暗い燭台の、穂のゆらゆらとまたたく陰にある膳や椀をみつめていると、塗りものの沼のような深さと厚みを持ったつやが、まったく今までとは違った魅力を帯出してくるのを発見する。
われわれは、茶事とか、儀式とかの場合でなければ陶器を使い、漆器というと野暮臭いものにされているが、それはひとつには照明がもたらした「明るさ」のせいではないだろうか。
事実「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと言っていい。
漆器の肌は黒か茶か赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲をつつむ暗黒の中から必然的に生まれでた物のように思う。
古の工芸家が器に漆を塗り蒔絵をかく時は必ず暗い部屋を頭におき、乏しい光の中における効果をねらったのにちがいなく、金色を贅沢につかったのも、それが闇に浮かび上がるぐあいや、灯火を反射する加減を考慮したものと察する。
つまり金蒔絵は、明るいところで一度にばっとその全体を見るものではなく、暗いところでいろいろの部分がときどき少しずつ底光りするのを見るのである。
もしあの陰鬱な室内に漆器というものがなかったなら、ろうそくや灯明の醸し出す怪しい光の夢の世界が、その灯のはためきが打っている夜の脈拍が、どんなに魅力を滅殺されることであろうまことにそれは、畳の上に幾すじもの小川が流れ、池水が湛えられている如く、ひとつの灯影をあちらこちらにとらえて、細く、かそけく、ちらちらと伝えながら、夜そのものに蒔絵をしたような綾を織り出す。
感想
たとえば、平成生まれの人間からすると、和室に扇風機のある風景はもはや情緒の一部になっているとか、筆ペンがあるとか、時代の違いがあるようには思える。
黒澤明監督の映画など、日本の陰影を映し出している。
それはさておき、谷崎潤一郎の描写力、文豪の文豪たる所以を感じるのは、漆器のところである。漆の色を、幾重の「闇」が堆積した色と表現する凄さ。夜の脈拍、畳の上の幾すじもの小川。官能的すぎて鳥肌が立つくらいの色気があった。これは本のほうで、音読してもらいたいと切に思いました。
【茶人活動】フランスからバカンスで来たファミリーに抹茶を教えたときの話
こんにちは、神崎です。
茶人をしていますが、教室を持っているわけではなく、どこでも出張でやるというスタイルでいます。
今、静岡県の森町という、浜松と掛川の間くらいのところに住んでいるのですが、ヨーロッパの方が旅行で来られることがあり、抹茶を振る舞う機会がありました。
フランスから来たフレデリックファミリー
羽田空港に降り、都内を電車を利用して観光したあと、車で大阪に向かう途中、静岡で一泊するバカンスだということで、居酒屋に案内しました。
フレデリックは水道管の工事などをしているそうで、むこうでは1年の間に1ヶ月くらいのまとまったバカンスを取るのが普通だそうです。
こどもたちは、刺身は苦手でした。
キスの天ぷらが一番美味しかったらしいです。
朝茶withフレデリックファミリー pic.twitter.com/dPxa1avUfn
— 神崎悠輔 (@kamkamkamyu0728) 2019年4月11日
意気投合したので、宿泊の翌朝、抹茶を振る舞いました。
正座のきれいな座りかた、お茶碗の持ち方、回し方、飲み方を教えました。
せっかくなので全員、一度ずつ抹茶をたててみました。
どうしても手首の動かしかたがはじめは難しいので混ざりかたがすくないですが、抹茶は味ではなく気持ちを飲むものです。
シャーロット10歳。抹茶を初めてたてるの回。 pic.twitter.com/osM3WlwT2i
— 神崎悠輔 (@kamkamkamyu0728) 2019年4月11日
せっかくの日本、いい思い出を持ち帰ってもらいたい。
朝茶終了。フランスからのお客様でした~ pic.twitter.com/KKXOSJD4Py
— 神崎悠輔 (@kamkamkamyu0728) 2019年4月11日
個人的には、日本を紹介するのももちろん大事なんですが、フランスのことをもっと聞けたらよかったです。あまりにもフランスに対する知識がなく、質問することも思いつかない。これのなにがコミュニケーションなのか。相互方向に興味関心を向けたい。
フランスについて調べてみようと思う機会でした。
【料理】ネギとパセリのペペロンチーノ。
こんにちは、神崎です。
先日、森町でお茶会をしたのですが、参加したお客さんから、パセリをいただきました。
パセリって栄養があるとは聞くんですが、ハンバーグに添えたりするくらいしか見たことなくて、聞いてみたら、炊き込みご飯にするといいと聞きました。
なのに、
なんだかパスタが食べたくなり、アドバイスを無視してペペロンチーノを作りました。
けっこうたっぷりもらったパセリを適当にみじん切りにし、
パセリだけだとさみしいので、ネギをすこし大きめに切っていれました。
この前の記事でも書いたのでこの辺は簡単に紹介します。
ペペロンチーノを作るときのコツは3つで、パスタのゆで汁の塩加減、アーリオオイリオ絶対弱火で、パスタのゆで汁を加えて乳化させる。の3つだけ気にすればお店の味になります。
もとイタリアンのシェフで現剣士を職業にしている知人がいるのですが、彼が居合いの教室をする時に抹茶をたてるので、たてかたを教えて欲しいとの依頼をしてくれまして、おいしいペペロンチーノの作り方と交換で教えてました。
パスタのゆで汁は、よく水が1リットルに対して1%とか1.5%とか言いますが、このゆで汁の役割は2つ。パスタがゆで上がるときに水分を吸収するため、塩分も同時に吸収させることで、麺自体に味をつけることと、オリーブオイルと混ぜてパスタソースにすることです。
なので、水が沸騰したら塩をいれて、舐めてみてちょうどいいかどうかで決めます。
そして麺をゆでている間に、パスタソースを作ります。
にんにくは潰して輪切りに、唐辛子は、自分は種もいれてしまいます。辛くなって自分好みなので。オリーブオイルと、すこしのサラダ油でにんにくと唐辛子が浸るようにして弱火で加熱します。
香りが出てきたらネギを入れ、焦げ目がついてきたらパセリのみじん切りをいれました。
パセリは焦げやすいので。
ネギがほどよくとろけるくらいになってきたら、ゆで汁をお玉ですくって、フライパンに入れます。フライパンをよく振って入荷させないと、麺に絡まなくなります。汁がおおくてもスープパスタみたいになって自分は好きですが。
麺を入れ、軽く混ぜてから、盛り付けて完成です
盛り付けが下手だと言われました。
そう思います。
味のほうはおいしいので。
パセリはそんなに主張がなく、ネギは中がとろとろです。
ペペロンチーノは、茹でるときの塩分を間違えなければほぼ100%どんな素材を使っても美味しくなると思います。
【相談室】人生どうしようか悩んでいます。5年後にどうなっていたいとか、なにをしていたいとかありますか? 茶人が答えてみた。
こんにちは、神崎です。
「時間の流れってあっという間ですよね」って、若くても年をとってても、今の人でも昔の人でも、人間、全員の共通理解なんですよね。
わたしも、大学を卒業してからもう3年がたち、4年目です。
じつは初めてはてなブログを書いたのは5年前ですね。もう見れないようにしてあるんですが。あの頃は言語能力不足で、文字を書く習慣もなく(ラインで語り合う友人なんかもいなくて)拙い文章を書いたり、書けなくなって挫折したり、苦い思い出があります。
最近は毎日更新できているので(書き溜めて予約投稿したりしてますが)なんとか自信になっています。
文章を書くと自分のこころの中がスッキリするので、そういう意味でもいい習慣になっています。
今回も質問箱に答えたものになります。
人生どうしようか悩んでいます。5年後にどうなっていたいとか、なにをしていたいとかありますか?
人生相談と思いきや、わたしの5年後についてでした。
こう答えました。
5年あると、けっこう人生が別のものになったりします。
ちょうどわたしが「茶人」やりたい(茶道に関するなにかしらで生計を立てられるようになりたい)と思ったのが5年前でした。
やりたいことがありすぎて悩むならリストにして全部やってみるとか、逆にやりたいことがないなら、これを自分はやりたいことにすると決めるとか。
ひとつのことに執着してみるといいかもしれません。
対象は人ではないほうがいいです。
経験談としては、人生を自分一人のものとして考えている時期はとても虚しく、退屈でした。
だれか好きな人と過ごす時間は、いつまでも覚えているもので、思い出すたびに幸せな気持ちになることができます。
そういう意味で、これからの自分のやりたいことですが、お茶に関して言えば
・お茶の活動の場を海外に広げてみたい。とくに中国語や英語をつかって(少しずつ勉強中です)
・お茶を非言語的なものとして扱えるように、物質的な空間演出や音的な空間演出ができるようになりたい
・お茶を伝える、広めることに執着してみたい という気持ちがあります。 お茶を通してたくさんの人と出会えたら嬉しいです。 あと、車茶室をつくって日本を一周してお茶を振る舞ってみたいです。これはなるべく若いうちにやりたいです。
参考になるかはわかりませんがこんなかんじです。
この回答、2ヶ月くらい前ですね。
すこし要領を得ない部分もありますが、5年もあると、今の延長線上の人生ももちろんありえますが、まったく想像できない人生になっている可能性もあるのですね。
茶人としてやりたいことはあります。
ですが、もしかしたら茶人としてではなくやりたいことができているかもしれません。(おそらく茶にはなんらかの形でつながるのですが)
すでに今、楽器のハンドパンを少しずつですが練習し始めたり、筋トレの道具を買って毎日筋トレしたり、一眼レフカメラでカメラ散歩したりしています。
茶人として活動してからも、一時期、なんのやる気も起きなくなってしまったことがあるのですが、最近、やりたいことがたくさん出てきました。
少しでも興味を持ったことには飛び込んでみると、少しずつ、毎日が変わっていって、1年くらいでも全然違うところに行っているかもしれませんね。
5年前
今
あんまり変わってないですね