Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

森町茶文化工房交流カフェ 8/19

 8月19日は、毎月恒例の森町茶文化工房交流カフェの開催日だった。

 


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森町に移住してからちょうど2年がたった。

 

2年前の8月もとうぜん暑く、引っ越しにガスの名義変更が間に合わなくて、3日くらいガスなしで、水シャワーで生活していたのが懐かしい。

 

持論だけれど、思い出には良い思い出も、悪い思い出もなく、良いと思う自分がいるか、悪いと思う自分がいるかなのだ。

 

アドラーの「目的論」では今の目的を達成するために人は過去を利用していると提唱しているが森町を好きでいるかぎりは「引っ越してきたときに水を浴びていたこと」は「いい思い出」になるのだろうし、嫌いになったら「悪い思い出」になるのだろうということ。

 

恋愛もそうで、好きならどんなところも愛らしく思えるし、嫌いならどんなことをしても憎たらしく思うものだ。

 

なんて思ったりする。

 

夏の水シャワーは好きだよ。

 

2年、長いのか短いのかさっぱり時間の進み方が分からなくなっているが、とにかく町には徐々になじんできたようで、常連のかたがたも、カフェの日を楽しみにしてくれている。 


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町のあらゆる情報をしっているおかあさんたちとか。

 

この町の高校の卒業生とその恩師の先生とか。


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お茶というのはおいしいだけの飲み物ではないと常々思っている。

 

人や、モノや、思い出を結びつける飲み物だ。

 

様々な味の成分と香りの成分が含まれていて、人が好ましいと思う飲み物であることは間違いないのだけれど、日本に持ち込まれてから約1300年という時間の中で、人とともにあったお茶は、単なる飲み物以上の役割があるのだ。と思う。

 

水にはない何かが、ホッと、心をゆるませ、気持ちをやさしくさせる。

 

アルコールが入っているわけではないのに、饒舌になれる。

 

今のこと、昔のこと。あっちこっちに話が飛んでも、お茶がなんだかそれを結びつけてくれるんだと思う。

 

カフェのお手伝いをしてくれている男の子は、森町が大好きで大好きでたまらないらしい。スマホで撮影した写真を印刷してきて、カフェにくる人に見せて森町の話をしたり、聞いたりしている。


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小國神社には毎月行ってたけど最近行ってないなーとか。半夏生は今年は見れなかったやーとか。

 

あの辺には昔は映画館があってね。とか。あそこは昔和菓子屋さんでちっちゃい一口饅頭がおいしかったんだけどなーとか。

 

お茶は、話を弾ませてくれる。
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