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日記ということにします。しばらくは。

藤森照信さんが「茶室と火」に着目した経緯。


藤森照信の茶室学』を読んでいます。



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藤森さんが茶室を手がけはじめたのは、1995年、49歳の時だったそうです。配偶者の方がお茶を習い始めていたので、自宅のタンポポハウスを建てたときに炉を切ったと。

1997年に建築したニラハウスでは、施主の方から「だれにも分からない隠し部屋をつくってほしい」ということで、茶室をつくったとのこと。その後、ザ・フォーラムというスキーリゾートホテルを1999年に設計し、喫煙者のための小部屋として茶室をつくった。それぞれ配偶者の意向、隠し部屋、喫煙室と、消極的につくったもので、茶室には関心は無かったと述べています。


今では「茶室建築といえば藤森照信」というくらいになっているのに、どのように茶室に興味をもつようになっていったのだろうと、疑問に思います。


旧知の友人から「徳正寺に茶室をつくってほしい」と依頼されたときに、はじめて「茶室」をつくることにしたのだとか。すると、友人たちが習っていたお茶は煎茶道煎茶道の小川流の家元が「炉は茶の湯のものだから埋めてください」と言い、茶の湯煎茶道のちがいについて調べるきっかけになったのだとか。


茶の湯が茶葉を臼で挽いて粉にした抹茶を使うのに対し、煎茶は茶葉を使い、日本の茶の歴史としては抹茶がまず入り、続いて煎茶が入っている。利休による茶の湯隆盛の陰で、煎茶が茶道として流れをなすのは茶の湯より遅れ、煎茶中興の祖として知られる黄檗萬福寺の売茶翁が寺門を出て世間に広め、やがて京の医師の小川可進が小川流を興した。中国の書斎の茶の流れを引くから文人茶とも呼ばれ、武士や公家をパトロンとする茶の湯とちがい、市井の漢学者や漢詩人、画家や医師らを支持者として流れを形成したが、幕末を迎え、幕藩体制が崩れはじめると、頼山陽を中心に一気に盛り上がった。そして江戸が終わり明治がはじまると、茶の湯は旧勢力として衰え、煎茶がとって代わる。やがてまた茶の湯は盛り返すが、明治初年からは茶道といえば煎茶のことだった。その煎茶も日清戦争を境に下りはじめても、明治いっぱいは茶の湯に負けない流れをなしている。


ここまで調べて藤森照信さんは「茶の湯と煎茶の茶室を分けるのは炉の有無である。火の有無である」と気づき、茶室と火、空間と火という本質的テーマについて、建築史家として取り組もうと思ったと文中で述べています。


『人はどんな場所を欲するのか?藤森照信の住居の原点』でも、上記の「タンポポハウス」や「ニラハウス」も掲載されています。



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タンポポハウスをつくったときには「火」の重要性というものに着目していなかったことがこちらでも述べられています。

自宅のタンポポハウスの設計にあたり、配偶者の希望により主室の一角に炉を切った。まだ火の視覚的本質に思い至っていない段階だから、炉の中の熱源は炭火ではなく、クロム線ですませた。市販の炉のセット。それでも、使ってみるとすばらしい。もっぱらお客さまの時に使う。日頃は多様に使う部屋を片づけ、炉に鉄ビンを掛け、湯気がチンチン出始めたあたりで友達や知己などなどを迎え、お菓子を食べ、茶を喫み、談笑するのだが、終わるところを知らない。皆さん、去りがたいのか、時間の許すかぎり、続く。まったく、火の力だと思う。火は空間をひとつにまとめ、そこに集う人々の気持ちをギュッとワシ掴みにする力をもつ。


また、こちらへの記述によると「火」というものは茶室においてのみ大切なものなのではなく、そもそもインテリアの起源なのではないか。ということも述べておられます。

火のある光景というのは、キャンプファイヤーの時を思い出してみると分かりやすいですが、火を囲む人たちの表情にも陰影が生まれるということももちろん不思議な光景であるけれど、火に照らされた顔や身体という表面が、火に向かって内向きの空間を作り出しているのが、インテリアの特質である、包まれていることと表面性を満たしていると指摘しています。


しかし、インテリアの意識を生むのは洞窟の中の火になってからであるとさらに言います。



ポイントは洞窟の中での火ではないか。洞窟の中の火は、火を囲む人々を光の表面と化すのは野外と変わらないが、加えてもうひとつ深い現象を引き起こす。光の表面と化した人々の背後の洞窟の壁に影を映し出す。それも、炎の動きに合わせ、微妙に揺れる人の形をした影を。洞窟の壁に映し出された影こそが、人類のインテリア意識を生み出したのではないだろうか。

このことを私が思ったのは、アルタミラやラスコーの人類最古の洞窟絵画を見た時で、野牛やマンモスの絵のほかに、"人類の姿"がたしかに描かれていて、それは、手を壁に押し付け、周りに絵の具を口で吹き付け作った"手の影"だった。野牛やマンモスを描いて洞窟に人類初のインテリアを生み出したわれらがご先祖さまたちは、自分の存在を"影"で表現していたのである。


ここで述べている壁画の絵というのはこういうもののようです。

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http://blog.livedoor.jp/kokinora/archives/1009737400.html:壁画出典

つまりこういう経緯で、藤森照信さんは「火というものは茶の湯の茶室にかかせないものであると同時に、インテリアの意識の起源でもあり、人にとっての建築にも重要な意味を持つ」と意識していらっしゃるということですね。

タンポポハウス、ぜひ一度拝見したいものです。