Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

「ランニングをする自分」という新たな自分と出会うことができた

11歳からランナーで、12歳から哲学者、そして起業家でもあり、現運動生理学博士のカープ,ジェイソン・R氏が書いた『The inner runner ―博士が教える運動と成功の切れない関係』を読み始めた。



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ランニングをはじめて11日が過ぎ、はじめは2.5キロを25分で走っていたのが、今日は4.6キロを23分で走れるようになった。



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ランニングは、自分にとっては筋トレよりも成長する速度が早く、もう、毎日走りたくてしかたないという気持ちになってきているのが不思議でたまらない。走りたいけど暑いのは嫌なので、生活習慣も変わった。夜は22時から23時には寝ているし、朝は6時から6時半には起きている。

路上の空気があたたまり始める前に、走ってしまう。空気も澄んでいて肺が喜んでいる気がする。

昨日よりも走れるかもしれない、と思って、毎日少しずつ遠回りをしてみていたら、いつのまにかもうすぐ5キロ走れそうなくらいになっていて、あまりにペースを早めすぎると関節を悪くしてしまわないかとか、どこか怪我をしてしまわないかとか、そういう不安も出てくる。

不安が出るほど余裕が出てきたということもあるかもしれない。

「走るって楽しい」そんな気持ちは生まれて初めてで、自分自身に驚いてしまう。人は変わるものだと。

私自身の一番の喜びは「知ること」でもあり、そんな新しい自分を知ったことも、ランニングの楽しさをしってきたこともうれしくてしかたない。

しかし「走ることを楽しんでいる人の話も知りたい」と思って購入したのが『The inner runner ―博士が教える運動と成功の切れない関係』だった。

はじめのほうですぐにワクワクする言葉を見つけた。

ランニングは、人間にとって最古の運動のひとつだ。現代文明が生まれるはるか前から、私たちの祖先は森林や大草原を駆け抜け、家族を養うために野生動物を追いかけていた。長く、早く、走れることは、きわめて重要なことだったのだ。それから、数千、数万年後を生きる私たちは今、ランニングに魅了されている。

そうだった。現代に生まれてしまった我々は、走らなくても生きていける時代を過ごしている。足の代わりに車輪を発明し、心肺機能の代わりにエンジンを発明し、肉体の代わりに鉄の箱をつくった。けれど走ることは人間にとって、必要不可欠だったのだ。必要不可欠だからこそ、肉体を鍛えることや走りを早くするは脳が喜ぶんじゃないだろうか。そんなハッとさせられる一文だった。

また、気になる言葉もあった

ランニングはシンプルではあるが、極めて複雑なものでもある。それは人間が複雑だからだ。

ああ。ランニングが複雑かどうかはまだ分からないが、人間が複雑である以上、向き合う対象に複雑な意味や解釈や、意義を持たせることは大いにある。なんだってシンプルで、複雑なのだ。おもしろい。ランニングもそうなのか、と思った。

ランニングは私に、人生において成功するコツ、失敗するコツ、勝つコツ、負けるコツをさりげなく教えてくれた。自分を律することも、何かに打ち込むことも、ほしいもののために頑張るコツも。成功したいなら努力すべきだということも、忍耐強くなることも(これについては、いまだに努力中だけれど!)。ほしいものが必ず手に入るとは限らないことも、ランニングから教わった。あなたもきっと、同じことを教わるだろう。

なるほど、ぜんぜん分からない。


成功も失敗も、勝ち負けも。


いや、勝ち負けは少しわかってきたかもしれない。「もう限界だー」というところを超えて、今の自分に勝つというのは、もう経験した。

分からないけれど、この博士が、ランニングを通して自分自身の人生を見ているということが分かった。私もお茶に関してはそういうところがある。みんな、なにかしらに人生を見出すことはあるだろう。

ランニングに人生を見出すほどこの博士は、世界中を走り、自分自身と向き合ってきたのだ。

ランニングは孤独な行為でもある。1人で完結する。仲間がいても、ライバルがいても、結局は自分自身との戦いだと思う。私が「ランニングをする自分」という新たな自分に出会えたように、ランニングにおいても日々新たな自分との出会いがあるのだろう。ワクワクしてきた。早く明日も走りたい。