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日記ということにします。しばらくは。

地方移住後は「孤立」は避けたほうがいい

地方移住後の問題として、考えるべきだなあと思ったのは「孤立すること」だ。


たとえばもともと東京にいて会社でもバリバリ仕事をこなしていた人でも、地方にきたらそんなことは関係なく、ゼロからのスタートが始まる。

都会は人が過密で無限にいるので、お互いに干渉せず、隣の住人の名前だって知らずにいてなんの問題もない。
必要なものはすべてお金を支払えばなんとかなるし、1か月だって1年だって、会社と自宅の往復、あるい娯楽施設でのストレス解消で生活が完結する。

そんな「都会」が嫌で「田舎の自然の中で子育てをしたい」と移住する人は多いはずだ。

「田舎(東京ではないところくらいの意味)」では人が少ないからみんな顔見知りで、会えば挨拶をするし、隣近所の家族構成や趣味、仕事なども把握している。人と人のつながりに満ちた生活がある、と思って移住してきたものの、浜松のアパートで暮らしているが「コミュニティへの入口が見つからない」とか「回覧板や広報ももらったことがない」と言っていた人がいて驚いた。

地方によって全然ちがうとは思うけれど、東京にいたころは回覧板はまわってきていたけどほとんどみたこともなかったし、必要性も無かったけれど、地方で回覧板がまわってこないと、草刈りの日にちがわからなくて、参加しないでいると好感度が勝手に下がっているし「草刈り来ない人だね」と思われてしまって、近所の人にハブにされやすくなる。

都会人的な考え方からすれば「近所付き合いがなくても、多少嫌われていても問題はない」くらいの感覚もあるかもしれないけれど、地方ではそう言っていられない場合がある。

たとえば育児なんかは、今回のコロナで施設という施設はいけなくなり、自宅で毎日こどもの相手をしていて気が狂うような思いをした人もいると思うけれど、近所に信頼できるママ友がいれば、すこし預けさせてもらったり、そこのこどもと一緒に遊ばせておいて息抜きしたりすることができた。

子育てというのはそもそも、不定期に泣き出したりぐずったり、遊んで欲しがったり、その間に食事を作ったり、おむつを変えたり、母親1人に子ども1人でできるようになっていないので、父親あるいは祖父母との協力関係だったり、仲間との協力関係が必要になってくる場面が多いので「人とのつながりを持てていないこと」は、後々家庭崩壊の原因になりかねないくらいの問題だなあと思う。

自分が子どもがいるわけではないので、知人の子育てを見たり、たまに遊び相手をやってあげるくらいなのだけれど、頼れる人が1人もいない土地で子育てをするというのは過酷なことだと心底思った。

育児で無いところで言うなら人とのつながりがあれば手に入ったものが手に入らないという、目に見えない損失がある。

たとえば「メロンが割れちゃって商品にならないからあげるよ」とか「親戚から梨が送られてきて食べきれないからあげるよ」とか「知り合いの猟師がイノシシを仕留めたからあげるよ」とか、人とのつながりがあれば「買わずに済むもの」がたくさんある。

そのぶん、なにかしらの交換が必要になっては来るものの、「メロンは今までもらうもので、買うものだと思ったことない」とか「柿は子どものころから食べ過ぎたからもう嫌い」とか、そんなうらやましい話をたくさん聞く。

コミュニティに入れていないと「都会では手に入らない新鮮な野菜や肉を安く手に入れる」という、よくメリットとして言われるものは享受できないのだ。

まあ、そもそも「他者からの好意を打算的に手に入れる」という思考で人間関係を構築していくというのは、意外と相手にばれるもので、利用し合うような関係性、ギブアンドテイクの関係性というのはけっこう都会的で貨幣経済社会的であると思う。

お金や、物や、労働力といった、目先のものではなく「この土地の人たちとうまくやっていこう」「この土地の人たちになにか提供できることをしよう」と、信頼関係を結ぼうとする態度を持つことが大事なのである。

なのである、と言いつつ、自分はできていないことがたくさんあるのだけれど、頭で分かっていることと、実際にできることの間には隔たりがあって、難しい。

私の場合は「茶人として抹茶をたてる」という技能を持っているので、事あるごとにイベントや、草刈り的な人の集まる場で、よかったら抹茶をたてますよ、と抹茶をたててきた。

個人事業としてやっていることでもあるので、パンフレットをわたして普段はお仕事でやらせてもらっていますという伝え方も忘れずに。

さまざまなところで、現地のルールを理解できていなかったり、しなかったりする姿勢はまだまだあるのかもしれないけれど、私は今のところは「孤立」することからは逃れられていて、地域の人とどういう人間関係を結んでいくかは、移住する人それぞれの課題であると思うところだ。