Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

シェアハウスをつくりたい

地方に地域おこし協力隊として移住してきて2年が経った。
いろいろな事情があって、この土地に家を購入して今後も住んでいくつもりなのだけど「シェアハウス」をやろうと思っている。

静岡県の西部地域にはシェアハウスという存在自体があまりないらしく「そんなの誰が住むの」と聞かれるのだけれど、「無いものには住めないし、あれば誰が住むか分かってくるんじゃないですかね」と答えている。

シェアハウスのメリットは二つあると思う。

引っ越しに際しての経済的社会的ハードルが低くなることと、出会いを生み出すことだ。

私のシェアハウスに住んだ経験上の話である。

私は実家が千葉で、大学を卒業するころに実家を出ることにしたのだが、人生の方針について、家族と会議をした結果「大学に行かせてやって損をしたような気持ちだ!保証人にはならないからな、それでいいなら住めるところを探せばいいし、勝手にやれ」と、円満に家出のような、勘当のような形になった。

その時期にちょうどお茶のイベントで出会った人が墨田区でシェアハウスを運営していて「お茶のイベントとかやりたいからうちに住みなよ」とスカウトしてくれた。保証人もいらなくてすんだし、冷蔵庫や電子レンジ、食器など、さまざまな生活必需品がそろっていたので、身体だけで飛び込めば新しい生活が始まったのだった。

岐阜の茶畑の草刈りとか、お金持ちのご隠居の庭の工事とか、お茶をつかったアートイベントとか、いろいろとたのしいできごともあり、その後の人生に大きな影響を及ぼす友人とも出会うことにもなったので「シェアハウス」というものの「出会いぢから」は本当に人生を変えると経験を持って言える。

今は静岡県に住んでいる。

引っ越してきた当初は本当に大変で、親戚もいなければ知り合いもほとんどいなくて、不動産屋にあるアパート以外の物件など、聞ける人がいなかった。

ひょんなことから仲良くなった陶芸家さんのアトリエに居候させてもらいながら新居を探していた。


たまたま役場のかたが、友人の空き家を手配してくれたのでなんとかなったが、最初の数か月の報酬は冷蔵庫、洗濯機、食器などに消えていった。

また、住み始めたばかりで近所の人は「分からないことはなんでも聞いてね」とやさしく言ってくれたが、「分からないことすら分からない」状態だった。

地域指定のゴミ袋を捨てれば、町内会長から「ゴミ袋には町内会名と名前を書くんだよ、この前書いてなかったでしょ」と言われて驚いた。

その後はなんとか、苦労しながら迷惑をかけながら、謝りながら、抹茶を提供しながら、町になじんでいき、助けてくれる人も現れてきたのだけれど、最初に「町のことについて教えてくれる人」がいないのはけっこう厳しいと感じていたのだった。

地方活性化ということで、地方への移住を促している風潮があり、またコロナのことも行政はポジティブにとらえ、東京への一極集中ではなく、地方分散が進むかも、と考えているらしいと話を伺ったが、「東京を出たい」と言う気持ちと「ここで暮らしたい(暮らしていく)」という現実の開きはけっこうある。

そういう意味で、地方移住を勧めるためにも「引っ越しのハードルを下げられて、先住人のコミュニティにいろいろ教えてもらえるシェアハウス」というのは必要なんじゃないかと思った。思っている。

9月ごろには物件を譲り受けるつもりなので、実現していきたい。