Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

稲穂にスズメが風流とはなんなのか

茶道だと、京焼の茶碗に稲穂にスズメがちゅんちゅん寄ってきている絵が描いてあったりして、それを見て「秋ですねえ」「風流ですねえ」という話をするみたいなかんじなんですよね。

東京にいたころに茶道を学ばせていただいていた時は「稲穂にスズメって風流なのか!覚えておこ!」とメモっていたりしたんですが

「なぜ稲穂にスズメがおもしろいのか?」とは思わなかったんです。そのまま受け入れていた。

それで、田舎に来てから、2回目の秋を迎えて、見かけました。

稲穂にスズメ来てる!!!!!

って。

初夏に入るくらいの時から、水を張って、苗を植えて、延びてきたら雑草も刈ったりして、他人事ですけども、大変だなあと思って見ていたんですよ。

それで、順調に育ってきたなあ、とか、そろそろ稲穂になるかなあ、とか、ジョギングをするたびに思っていました。

8月になって、早めに植えていた米はけっこう実っていたのですが、あるとき田んぼの前を通りかかったらいっせいにスズメが飛び立っていきまして「これか!!!!スズメ!!!!」と。

それで思ったのはもう、風流とかじゃない。ただの迷惑な鳥ですよ。害鳥。

今でこそ手植えなので「そんなたいしたことないよ」というくらいかもしれませんが、昔の手で一生懸命植えていた時代の農民にとっては、にっくき敵だったんじゃないでしょうか。税として取られるのがたいへんで、アワやヒエといった米以外の穀物を食べていた時代ですよ。

それで、なぜ、そんな農民にとっては害はあれど益のない鳥が「風流」なのか、考えてみると

当時、というか基本的に茶の湯あるいは茶道をやっている人というのは農民ではなく、商人か武将だったんですよね。時代考証はしていませんがきっと農民の農作業をする姿というのを一種の風景というか、鑑賞対象として見ていたということなんじゃないか、と思ったわけです。

なんでもそうですが、この場合「思い出を美化してしまう」パターンか、「現場は大変なのに部外者(責任のない人)は大変さを理解していない」パターンなのか、どちらなのかかなと。

武将と言えど、商人と言えど、米を植えることくらいはしていた場合、大変さは理解できるはずです。それでも、喉元過ぎれば熱さを忘れるように、過去を美化してしまったパターン。「稲を頑張って育てても、雀に食べられちゃうの、最悪だけど、あの時は追っ払ったりして楽しかったなあ」という。良い酒のつまみ感覚で見ていたのか。

ですが、田植えなど、しなかったかも。士農工商がはっきり分かれていたというのがどれくらいなのか、また調べてみたいですが。

であるなら、後者。水族館のガラスの向こうでサメが泳いでいるのを見て楽しむように、農民たちが汗水を流して一生懸命、それこそ一生をこの土地にかけている姿を見て、風物詩ですなあ、と楽しんでいたんじゃないか、と。

それって、現代の感覚で言うとちょっとフェアではないというか、嫌な人たち、って感じもありますが、人間の格差を消滅させよう、という動きがでたのは本当にここ50年か100年くらいの話ですから、当時としては農民もスズメも大して違いはなかったのかも。

なんて、思ったりしました。

参考文献もなく、想像の話に過ぎませんが、そう考えながらあらためて茶道を眺めてみると、あらたなおもしろさがあったりします。