Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

「生きるために働く」から「働くために生きる」へ、ネガティブイノベーションしてしまった世界。

「生きるために働く」というのがあたりまえだった時代がありました。

それは、あれも欲しいしこれも欲しい、あそこにも行きたいし、新しくできたあのお店でも食べてみたい、でも使いすぎたらお金なくて月末がピンチになってしまう。

という話ではなくて、今日、魚を釣ってこないと、木のみを拾わないと、小動物を狩ってこないと、お腹を空かせたまま寝ることになる。そして明日もなにも収穫がなければ、動く元気も無くなる、という。

時代が下っても、土地を持っている地主に税を巻き上げられて、食べられるのはカスみたいな穀物だけ。白米などほとんど食べられない。武将や貴族は肉や魚も野菜も食べているのに。働いても働いても、また来年も働いて、死ぬまで働くだけ。楽しみは年に一度の祭りくらい。

エネルギーの活用の発見と、車の登場、そして工場の機械化などによって大規模農業や大規模な食糧生産ができるようになり、人類の胃袋のキャパシティよりも生産される食べ物の総量のほうが上回る時代。

今現在、貧困国で起こっている飢餓は、食べ物が平等にいきわたらないことが原因です。

もちろん、世界が物質的に豊かになることは必要です。日本だって「物質的には豊かになったけれど、心の豊かさが足りない」といっていたら、世界的に見て物質的にも豊かでは無くなってきてしまいました。

それでも、日本は安全で、飢えることもなく、生きていける社会です。江戸時代の人が見たら本当にユートピアでしょう。天国だと思います。

それでも働く理由はなんなのだろう、と考えたことはありますか。

なんですか。本当に。

ブラック企業のモーニングルーティン動画がYouTubeでかなり再生されていましたが、ちょっと、人間の生活ではないですよね。

ノルマ、パワハラ長時間労働、睡眠不足、疲労の蓄積。

味覚もなくなり、心療内科にも通うことになって、稼いだ賃金は医療費に。

回復させたらまた働いて、身体を壊すサイクル。

好きでやってるんではないにしても、もうそこまで来たら自分で大丈夫か大丈夫の判断もできなくなってきます。

大丈夫よ、無職になっても大丈夫だよ。無責任でも根拠なんてなくても、絶対に大丈夫。そう言ってあげたい、と思ったら、投稿主さんもそう書いていました。(でも自分自身は転職するよりはブラック企業で早く帰る術を身に着けると言っている)

食糧生産のイノベーションによって、本当なら「生きるために働く」は必要なくなったはずなんですよ。なのに、「働くために生きる」という、もうなんなのか、生き方のネガティブイノベーションじゃないですか。

余暇ができて、余裕ができて、本当ならもっとのんびり暮らす世界がやってきていたはずなのに、もっと美しくなりたい、もっと認められたい、もっと人の役に立ちたい、もっといろんな世界を見て回りたい、もっと欲しいものを手に入れたい。

肥大化する欲望と、利用される貢献心。

人類が求めていた「幸福」とはなんだったのか。

農業をやっている友人と話したのは、これから先、地方はどんどんハードが余っていくんですよ、たとえば家もそうだし、農地とか、酒蔵とか、味噌蔵とか。
働き盛りだった人たちも、寄る年波に身体が持たなくなってきて、でも娘息子は東京に知的労働をさせに行かせてしまって、跡取りもいないようなところが増えていくんです。

だったら、ブラックはブラックかもしれないけれど、茶畑とか、酒蔵とか、好きな人と一緒にはいって、大変だけど自分たちでつくって自分たちでインターネットで売ればいいんじゃないか。つまり遊びながら働く、働きながら暮らす、暮らしながら遊ぶ、そういう生き方ができるんじゃないか。

というか、もう20代は、そっちのほうがいいと思ってるんじゃないか。

という話をしました。

受験に合格するための勉強とか、就活に成功するためのテクニックとか教わるけど「スモールビジネスのやり方」とかも学校で教えたらいいのに、教えてくれたらよかったのに。と思います。