「質」より「量」をやるべきだと教えてくれた『複利で伸びる一つの習慣』に出てくるエピソード。
良いやり方を探してしまう
新しく何かを始めるときに生まれる悩み事のひとつは「どうやったらいいのだろう」である。
今まさしく、僕自身が、ブログを書いて、筋トレをして、断捨離(モノを捨てているだけ)を習慣化しようとしている真っただ中において不安になっている。
たとえば文章力なら、どういう文章がうまい文章なのか、どうしたら人に読ませられる文章が書けるのか、きれいな文章はどの本から学ぶことができるか。
日々、自分の拙い文章に向き合いながら「書きたくなさ」と向き合っている。
筋トレも、YouTubeのマッチョたちが120キロのバーベルを持ち上げる様子を眺めたあとに自分の身体の貧弱さを見ると、もう筋トレは諦めたほうがいいんじゃないかと思ってくる。
まだ27歳と言われるかもしれないが、もう27歳だ。
誰だって今日という日が一番若い、と同時に、今日という日が一番年老いている、のだから。
断捨離は、もう、意地だ。
これに関しては引っ越しを半年後には遅くともする必要があって、なかば義務的に習慣づけている。
具体的に言うと、毎日なにかしらの今まで捨てられなかったものを捨てている。あるいは使っている。
結局食べなかったレトルトのミートソースを使って、結局使わなかった書類ケースを捨てて、もうずいぶん長いこと使っていた枕も捨てた。
本は先月で23冊メルカリで売った。13000円ほどの利益になった。
写真のクラスでおこなった「量」か「質」かどちらを目的にしたチームが「質」が良くなるかの実験
『複利で伸びる一つの習慣』でこんなエピソードが紹介されていた。
授業の初日、フロリダ大学のジュリー・ユルズマン教授は、写真のクラスの学生をふたつのグループに分けた。
教室の左側の学生は全員「量」のグループだと彼は説明した。このグループの学生は作った作品の量だけで採点される。授業の最終日に、各学生が提出した写真の枚数を総計する。100枚なら評価はA、90枚ならB、80枚ならC、という具合だ。
一方、教室の右側の学生はみな「質」のグループになる。彼らは作品の出来栄えだけで採点される。学期中に制作する作品は一枚だけでもいいが、Aをとるにはほぼ完ぺきな作品でなければならない。
学期が終わると、教授が驚いたことに、素晴らしい写真はすべて「量」グループの作品だった。
学期中、このグループの学生たちは、写真を撮ったり、合成や光の工夫をしてみたり、暗室で様々な手法を試したり、失敗から学んだりと、とても忙しかった。何百枚もの写真を作成する中で技術を磨いていった。
その間、質グループはただすわって、完ぺきさについて考えていた。そして結局、努力を示せるものはほとんどなく、信憑性のない理論と平凡な写真ができただけだった。
この実験について、『複利で伸びる一つの習慣』の著者、ジェームズ・クリアーはこう結論付けている。
習慣を身に着けたいなら、大事なのは完ぺきを求めることではなく、繰り返しから始めることだ。新しい習慣について、あれこれと未来の計画を立てる必要はない。必要は、実行することだけだ。これが第三の法則の最初のポイントである。
ノウハウコレクターにならない
どこにでもいるものだけれど、ノウハウコレクターという存在がいる。
大学の受験勉強をするとき、やたら「勉強法」や「予備校講師の情報」、「参考書の良しあし」に詳しい人。
オープンキャンパスにも何度も行っていたりして、その学校にはどんな教授がいるかとか、文化祭でどんな出店があったかを知っていたりもする。
結論的には、どんなに「いい勉強法を知っているか」ではなく、毎日100個ずつ英単語を覚えたかどうか、がその大学に行けるかを決めるものだ。
良い文章を書ける人は、結果的には人の良い文章をよく研究している。
マッチョな人は、結果的には筋肉の部位ごとのベストな鍛え方や、プロテインを飲むベストなタイミングや食事の栄養バランスを知っている。
ミニマリズムな生活をする人は、買わないほうがいいものや、買ってよかったものを知っている。
しかし結局、自分が「それをする人」になりたいなら、やることはただ一つ。
「やるだけ」なのだ。
参考文献
- 作者:ジェームズ・クリアー
- 発売日: 2019/10/12
- メディア: Kindle版