Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

藤森照信氏の設計した建築を見に、浜松の秋野不矩美術館を訪れた。

 静岡を代表する画家の美術館、秋野不矩美術館の設計をした藤森照信さんは茶室建築の設計でも有名である。

 

タンポポハウスや、ねむの木学園美術館など、自然素材を使い、大胆でユニークなフォルムの建築も手掛けていて、世界からも注目される建築家。

 

友人が遊びに来たので連れ立って、建築を見に行った。

 

美術館の下のほうに駐車して、坂道を歩いて登っていくと見えてくるツリーハウスのような、丸くて表面がうろこのようになっている小屋が、藤森さんがつくった茶室、望矩楼。


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開くようになっている窓が見える。


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全体を鱗のような外皮に覆われている、これは銅板を手でくちゃくちゃにしたものらしい。


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 梯子で登るようだ。


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 三本足で立っていて、もともとの地面よりも高いところでありながらさらに高さがあって、ここで茶を飲みながら見る景色はさぞ絶景だろうと想像させられる。


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美術館の中に入ると、展示があるのだけれど、2階にはこの茶室の内部の様子と、構想などの説明書きが置いてある。


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内部の床と壁は、天竜産の杉。

 

足には天竜産のヒノキを使っているんだとか。

 

説明書きによると、外壁の銅板は地元の小・中・高校生に手伝ってもらって曲げたもの。

 

藤森さんはこの銅板を手でくちゃくちゃにした外壁を、チョコレートハウスにも使っている。けっこうお気に入りなのだろうと思う。


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下は秋野不矩美術館の様子。

これものちに説明書きがあるのだけれど、外壁はモルタルで、このあたりの土を表面に塗り付け、かつ、藁を混ぜ込んで荒く塗り付けているので、土壁のような風合いになっている。

 

上のほうに飛び出ているものは雨を流すトイだろうか。

雨の日に訪れる楽しみにもなるかもしれない。


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こちらも外壁。 


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内部の様子。


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真ん中の柱は樹齢120年の天竜杉だそう。チェーンソーで荒々しく面取りされていておもしろい。


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藤森さんと友人たちの「縄文建築団」の手によって、建物内部の施工が行われたとのこと。

 

雑に見えて、味のあるこの面取り具合はなかなか難しいだろうなーと思いながら撫でてしまう。


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 藁を混ぜ込んだモルタルの接写。


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 引いた構図。


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 テラスから一望できる天竜二俣の町並み。

ちょうど祭りの練習のような掛け声が聞こえてきた。


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 中の写真は撮り忘れたのでないのだけれど。

 

この美術館は、世界でも珍しい「裸足で鑑賞できる美術館」になっている。

 

作品を鑑賞するスペースは、全体を漆喰で塗りこめられていて、足元から天井まで、境目のないように、作品が白い空間にぽっかりと浮かび上がっているように展示されている。

 

藤森照信の住居の原点』によると、この美術館は「充満する光」をテーマに作られたらしい。

 


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 インテリアの光は、差し込む光と充満する光で違う。差し込む光は、ヨーロッパの石や煉瓦の宗教建築を訪れたとき誰もが経験するように、超越的存在を感じさせ、いってしまえば精神に働きかけてくる。緊張し、その緊張がなぜか心地よい。充満する光は、外から差し込んで充満する場合も、内からの光源で明るくなる場合も、中にいる存在を包み込み、中にいる存在は包まれることで心が安らぐ。精神ではなく感覚に、さらに心に働く。

 (『藤森照信の住居の原点』本文より引用)

 

トップライトからの自然光が、漆喰のざらついた表面にあたり、部屋中にやわらかく充満する、そんな空間をつくりたかったと述べている。

 

部屋全体を白い空間にするため、床石は白い大理石を使ったのだそうだ。

 

白い大理石は貴重で、彫刻用に使われるのでなかなか建材としては使用できないらしいが、なんとか手に入ったのだと。

 

床から天井まで白い空間ができたとき、思ったということがおもしろい。

 

 仕上がってはじめて見たとき、足を踏み入れるのに職躇した。光の充満した白い空間というより、高さも奥行きも底もわからぬ白っぽい非物質があるのだが、これはいったい何なのか。建築とは違うだろう。今はじめて書くが、この世ではないと思った。最後の一作でやるべきこと。本当にそう思った。竣工後、展示品が並べられてやっとこの世のものになった。

 

床に座り込んで眺める絵画は、なんとなく引き込まれる感じがした。