Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

【狩猟民族と、農耕民族と、遊牧民族のいいとこどり】

【狩猟民族と、農耕民族と、遊牧民族のいいとこどり】




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「人は移動したいのか、移動したくないのか」と問うているブログを読んだ。その記事では本質的に人は移動したい生き物であると思う、と言っていた。

私は、もう一歩深めて考えてみたい。【人は、精神的あるいは物理的、能力的のいずれかで常に移動して生きていきたい生き物だ】と。

狩猟民族と農耕民族と遊牧民族がいる、と分ける話がある。DNAも違うらしい。

おそらく、農耕民族は連帯感を強めるとか、我慢するとかが大事になってくるので、精神的な移動(成長)が大事な民族だろう。狩猟民族は体力の増強や、力の増強が大事なので能力的な移動(成長)。

遊牧民族は、羊の食べ物である草を求めて移動していくということもあり、物理的な移動が必要だ。

そういうことを考えていくと、自分はどのタイプなのだろう、と思う。血筋は農耕民族のはずなのだけれど、遊牧民族的素養もあるように思う。

コロナ下において、物理的な移動を好んでいた人たちはストレスが強かっただろうと思う。自粛のつらさ、という部分で。

withコロナ、ということが言われだしていたと思ったら、わざわざwithコロナなんて何も考えていないことと同じだ、という厳しい意見もある。

なんにしてもこれからライフスタイルに大きな変化が訪れることは間違いないけれど、そんな中で【好きな場所で生きられる】ようになるというのは大きな流れなのではないかと思う。

夏は北海道で、冬は沖縄で、なんて極端な暮らしもあるかもしれない。楽観主義でも悲観主義でもなく「死」が突然身近になり、個人の幸福の最大化を目指す人は増えるだろうと思う。

日本の対応はお肉券やアベノマスクを筆頭にくそだったとインターネットではたたかれがちだが、世界的に見ても死者が現状少ないということは、病院との連携もとれて、ぎりぎりのところで検査や患者の隔離や重傷者のケアもうまくいっているということではないだろうか、と思う。

そもそも、日本では年間2万人ほどの自殺者がいたし、交通事故は2千人、日本における年間137万人ほどの死者の死因の3分の2は生活習慣病によるものだとも言われている。

だからコロナを怖がる必要がない、などと言うつもりはないけれど、コロナ以外の「死」に目を向けてもいいんじゃないかとも思う。

死は唐突だ。

だから「生きている間に好きなことをやろう」という人たちだって当然増えてくるはず。

田舎の濃密なコミュニケーションによる息苦しさ、生き苦しさが不満で都会に出ていった人はともかく、都会の過密的な人口による息苦しさを我慢していた人たちは、多少不便でも地方に分散する可能性は大いにある。多少不便とは言ったものの、場所を選べば、ネットインフラもあり、ネットショップでも買い物ができるのでなんの不便もない場所だって日本には実は多い。

地方は、どんどん人口が流出していってしまっていたので、家も土地も余っている。やろうと思えば畑だってできる。やりたい。

【狩猟民族と、農耕民族と、遊牧民族のいいとこどり】だって、やりようによっては1度の人生で手に入れることだってできる、かもしれないのだ。