Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

瞑想をしていると、ふと思う。あと何度この呼吸を数えられるのだろうと。

瞑想をしている。




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生きるのがつらい、早く死にたいけど、自分では死にたくないから誰かに殺してほしい、と泣いていた友人にも「まあ、瞑想してみたら」と伝えたら、素直にやることにしたらしい。


のどが渇いたときの麦茶はうまいし、汗で火照った体にかける冷水シャワーは気持ちいいし、筋肉が張った体をほぐす湯船もじんわり幸福だ。

ご飯をつくるのが面倒なら、レトルトでもおいしいカレーが、選ぶのに迷うくらいスーパーには陳列されているし、お腹がすけば何でもおいしい。

幸福とは「満たされたかどうか」だ。

「満たされる」には「不足」が必要だ。

「不足」には「基準」がある。

400円の牛丼を食べられることを基準にして「たまには叙々苑が食べたい」というのも、不足だし、お腹がすいたことを基準にして「なんでもいいからお腹いっぱい食べたい」というのも不足だ。

「生きるのがつらい」って、「生きる」の基準を高くしている可能性はないだろうか。

あなたが望んでいるそれは、あなたに「不足」しているのだろうか。


瞑想をすると、「ある」ものに目が向く。

身体を絶え間なく流れている血液、吐くたびに入れ替わっていく酸素。

哺乳類が寿命を迎えるまでの心拍数は20億回だという。

呼吸を数えていると、心臓の鼓動も感じられる。

どうせ死ぬのだから、焦らなくても。この鼓動が20億回目を迎えるころには。

必要以上に自分のできないことをやろうとしなくていい。死にたいくらいなら。
必要以上に人と仲良くしようとしなくていい。死にたいくらいなら。
必要以上に理想を高く掲げなくてもいい。死にたいくらいなら。
必要以上に欲しがらなくていい。死にたいくらいなら。

瞑想をしていると、ふと思う。あと何度この呼吸を数えられるのだろうと。

お腹が空いたらたべよう。自分で研いで、自分でスイッチを押して炊いた白米はきっとおいしい。たとえレトルトのカレーでも「幸福だ」と思える瞬間は自分が決めるものだから。