Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

捨てることは、所有しない自分になるための訓練だ。

何かを手放す瞬間は怖い。本を処分している。欲しくなったらまた手に入れればいいんだろうけれど、今、手元から失ってしまうのも怖いし、また欲しくならない可能性が高いことも怖い。「この本を持っていた自分」から「この本を持っていなくても平気な自分」に変化してしまうことが怖い。「定期的に読んでいなかった」という意味ではすでに「この本を持っていなくても平気な自分」だったのだけれど、手元から本が無くなることによって、顕在化してしまうのが怖い。

結局、「変わるのが怖い」のだ。ただ、「手に入れても変わる」し、「失っても変わる」のに、「失って変わる」ほうが怖いものだ。手に入れたものはすでに自分の身体の一部になっている。アイデンティティが付与されている。

捨てることは、失うこと。「それを持っていた自分」を失うことでもある。


失う怖さ、捨てる怖さにおびえた弱い自分に向き合うのは必要な態度だ。

怖さに向き合って、怖さを乗り越える時、怖さを乗り越えた自分に初めて出会うことができる。

そして、誰かの弱さを理解できるようにもなる。


多くの場合、ひとは「安心する」という理由でなにかを所有している。

所有自体に自己実現を結びつけたり、所有していることで優越感を盛ったりする。

実際は所有にさまざまな価値を付与していくことで、安心するどころか、全く逆に不安になってしまう。

失ったら自分の価値も失う、権威を失う、アイデンティティを失う、安心感を失うから。

なにかを所有するということは、それを失う恐怖も同時に所有することになる。

なにかを所有すればするだけ所有していなかった時よりも不安になる。

本当は、何も持っていなくたって、大丈夫だということに気づいていくことで、物への執着、人への執着、自分自身への執着を手放していくことができる。

捨てることは、所有しない自分になるための訓練だ。