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日記ということにします。しばらくは。

風流とは、簡単に言うとなんなのか

風流とは簡単に言うとなんなのか

風流ってなんなのか、辞書で紹介されていたりしますけれど、たとえば若者言葉として「エモい」が年の離れたおじさんに通じにくいような感覚があるように「風流」という言葉が便利な言葉として使われていた時があったとして、当時のニュアンスでは理解できないんじゃないか、ということを考えたりします。

けれど、文字を見てわかることがあります。

「風」が「流れる」

よく私は「エネルギーが移動する」とか「エネルギーは強弱がある」とか「エネルギーは弱いほうに強いほうが勝つ」という話をします。根拠など何もない、ただの感覚の話でしかないのですが、なんとなくそんな気がしています。

簡単に言うと、元気な人と一緒にいれば元気になれるし、落ち込んだ人と一緒にいるとなんだか自分も落ち込んでしまう。

人間は社会性の生き物なので、他者からの影響をかなり受けていて、伝染したり、逆に相手にパワーを分け与えたりができるものなのです。

そして、いいコミュニティというか、いい「人の集まり」、そしてそこでおこなわれる会話、というものを考えたとき「いいエネルギーを充満させる」というのがけっこう大事なんじゃないかと思います。

エネルギーは、人も持っていますが、物も持っています。

それで、あらためて風流という言いたくなるようなシチュエーションについて考えると、大きく言えば「いいね!」と言いたくなる時なんじゃないかと思うわけです。とうぜん悪い時には使わない、ポジティブ寄りの言葉、という話です。

そして、風流なものと風流でないもの、を分けるなら、なにが風流にしているのか、それは、ふだんないもの、なのです。

たとえば古典的なものでは夏、風は吹いている、常に吹いています。しかしそこに風鈴をおいておくと、風が可視化されると言いますか、厳密には可聴化ですが、つまり「風のエネルギー」を発見できるということなんじゃないか、と。

あるいは、ししおどし、あれも「水の可聴化」あるいは「時間の可聴化」ととらえることができます。

ではたとえば「月に叢雲」はなにかというと「雲の動き」が「月」に影響していることを発見するんですね。雲が動く、動くということもエネルギーです。どんな意味合いを負荷してもいいですが、これは心の状況と対応しているような気がしていて「月の光も雲で隠されてしまうなあ」という、月は永遠の象徴でもあります。そして雲は瞬間性の象徴でもありますからこれも「時間の可視化」でしょうか。

すこし話がそれていきそうですが、人は「あたりまえに思いがち」というか「忘れっぽい」生き物です。「忘れる」ということは大事な機能で仮に「忘れない」場合、苦しいことやつらいことばかり溜まってしまって、生きていくことができませんから、忘れることによって生きていけるのです。

それに対して、なにか「思い出させる」ということが価値あることなんじゃないか、という漠然とした気づきがあります。

そこで風流の「風が流れる」ですけれど、風が流れることは目には見えないけれど、葉が揺れるとか、窓がガタつくとか、物理現象で気づくこともできます。けど、台風みたいに乱暴だったら、風流ではないですよね。

微弱な風に気づかされることが大事なんです。

そこで、この「風流」という感覚を、コミュニケーションにどう生かせばいいのかということを考えていました。

風を流す、エネルギーを可視化する、微弱なものを気づかせる。

それはもっと簡単に言うと「今この瞬間があたりまえではない」と思い出させることなんだと思います。

「あたりまえと思って見えなくなっているものを、わざわざ言語化する」ということ。

役割としては詩人というプロの技に通じていくような気がしています。

とりあえず今回かけるのはここまででした。また思いついたら書きます。