Everything is better than

日記ということにします。しばらくは。

ジョギングをしたおかげでちゃんと働きたくなった

先月からジョギングをはじめた。

 

「体力をつける」という課題に対しての取り組みで、何キロ走るとか何分で走るとかの目標値はないものの、習慣化に成功したようで、こうして継続している。

 

8月は合計で14日、67km走った。

 

はじめは2.5km走るのも30分くらいかかっていて、歩いてるほうが早いんじゃないか。と落ち込みながらも赤とんぼが隣を飛んでいる景色に気づけてよかったなんて能天気に走っていたら、日に日に心肺機能が高まってきたのか、月の終わりには7kmを50分くらいで走れるようになっていて、成長の実感があった。

 

しかし、突然走り始めたせいもあって、膝のあたりにすこし違和感が出てきた。だから毎日走るのはやめて、適度に走ろうと思った。

 

適度に、は実は一番難しいような気がしていて、つい「今日はいいか」と延期してしまう。

 

このまま走らなくなってしまうかも、とも思ったのだけれど、そんな心配もなさそうで、今月は9/5、9/10に7kmと5km走った。




 




 

もう、めっきり秋で、汗はどんどん冷えていく。ほてった身体に水のシャワーをかけるのが楽しみだったのに、もう水のシャワーの出番はないかもしれない。

 

ジョギングを始めてから、一番効果を感じたのは、行動量が増えたことだ。

 

目論見どおりではあるのだけれど、ブログも8月からこの記事で合計102本目で、だいたい一日に2本以上は書いている計算になる。

 

いい文章が書けているとは決して言えないけれど、書くことによって思考がクリアになっていくし、まだ自分の中で整理されていないことが分かったりして良い。

 

アクセス数も多少増えて、最近だとデイリー30PVくらいはある。月間で900くらいにはなる。

 

これもまた全然だけれど、もうすこし文章力がついてきたら、ブログのデザインなども整えたいし、アクセスをとれる記事も書いてみたい。やりたいことが増えてきた。

 

実際のふだんの活動も、リノベーションの工事のことや、物件の購入など、現実的になかなか進まないでいることも多いのだけれど、多くの人との関わりができたり、自分がやっている交流カフェに来てくれたり、日々情報をくれるようになったり、いろいろとうまくいっている。

 

活動内容についてよく分からなければ過去記事をご覧ください。

 

体力があると、一日が長く感じるし、なんだかストレスも感じにくいし、頭も回る気がする。

 

今まで、人生そのもののなにかに悩んでいたというか、心のどこかに引っかかりがあったような気もするのだけれど、それもいつの間にかなくなってしまって、もはや何に悩んでいたのかわからない。

 

というのは、今まで「働くこと」「稼ぐこと」への嫌悪感がとてもあった。資本主義という社会についての漠然とした嫌さがあった。それは自分の弱さに由来した感情で、多くの人よりも体力がなくて精神的ストレスに弱くて、満員電車も乗れないし、理不尽に耐えることなどまったくできないし、適合できない感覚があったからだ。

 

会社に入って週5日間、毎日同じ会社に通って同じ人たちと顔を合わせていたら精神に支障をきたしてしまう。と思っていた。義務教育で矯正されるべき人格が、矯正を免れたまま大人になってしまった。

 

そういうわけで、はやく資本主義の次の社会(生産力が極限まで高まり、生産コストは極限まで下がった社会。そしてAIがさっさと人間から仕事を奪って、人間にはベーシックインカムが支給され、人は働かなくてよくなった社会)が来たらいいのに、と思いながらお茶を提供していた。

 

お茶に精神的なやすらぎを求めている人は、社会的なストレスで疲れている人も多いため、僕のその「ありかた(好きなことで価値提供して生きていく)」は一種の理想として映るのだろう。

 

内実は、漠然とした生きていたくなさと向き合い続ける人生で、理想でもなんでもないのだけれど。貧乏でも消費活動にお金を使わないために最低限暮らせればいい。くらいの感じだからお金を稼ぐ必要がないだけなのだけれど。

 

そう。それで、「働く」とか「稼ぐ」ということへの嫌悪感が最近薄れてきたのが驚いたことだ。「体力がついた」「行動量が増えた」によって「時間が余る」「動きたくなる」という欲求が出てきた。

 

こんな簡単に働きたくなるならもっと早くにジョギングをしておくんだった。

 

体育会系だった人たちが商社や保険会社などに入ってバリバリ働くのはこういうメカニズムもあったのか、などと一人で、ジョギングをしたあと、まだ火照っているアスファルトに寝そべりながら思ったりもした。