『文章は型が9割』を読んだ感想
8月1日から「文章をたくさん書こう」と一念発起して、実際この投稿までに65本書いた。千本ノックを受けているような、パン工場のレーンでアンパンにケシの実をのせているような、機械的な感覚が芽生えつつあるけれど、たくさん書いたことで文章を書くハードルが下がったし、言葉がすらすらと出てくるようになった。
文章を書くことについて、たしか隠居男子の鳥井さんだったと思うのですが「型に流し込むようなイメージです」「淡々と書いています」というようなかんじでおっしゃっているのを見て、「文章とは情緒的に勢いで書くのではなくて、型を意識して、型にあてはめるように書くものなのか」と目から鱗が落ちたことがありました。
起承転結とか、PREP法とかもその類ではあるのですが、文章の型は多くの形があり、その基本構造を学ぶために『文章は型が9割』を買いました。(だいぶ昔に)
人は見た目が9割とか、伝え方が9割とか、9割本が多く出版されていたような時期だったと思いますが「タイトルも型に入れたのか」とツッコみたくなってしまいました。
テンプレートを44個用意して、解説してくれていますが、正直に申し上げると、おもしろくない。
本自体がおもしろくない文章なので、こんなのマネしてはおもしろくない文章になってしまう、と危機感を覚えたことをよく覚えています。
おもしろくないというのは「個性が見えない」ということです。それは「型にあてはめたこと」によって起きているのではなく「型に当てはめることを意識しすぎた故、書く内容もテンプレートのようになっている」のではないかと思います。
いろんな型を見ることができるという点では勉強になりました。
この本を読んだ後にずっと考えていたのは、魅力的な文章を書く人の文章の中に型を見出して、それを採用しよう、という事でした。
5人くらい、好きな文章を選んで、模写して、パートごとに分けて、風景描写になん文字、説明になん文字、疑問になん文字、結論になん文字、など、書き出していきました。『文章は型が9割』にあるように人の文章を分析してみました。
おかげで、文章を書くためのハードルがぐんと下がりました。なにせ、型に入れるだけでいいのだから。
まあ、あとは量を書くことかな、と思います。
文章のうまさって、書いた量に比例するんじゃないかと思っています。まだまだぜんぜん納得する文章は書けるようになりませんが、すくなくとも1か月前よりは文章を書くことへの抵抗も無くなりましたし、いい文章が出てくる確率も上がっていると思います。
代打でしかバッターボックスに立てないと、一発ホームランを狙って三振してしまいがちですが、レギュラーでバッターボックスにはいれれば、3割打てれば良い打者だ、というのが野球での話です。
ブログは、自分で打席に立つ回数を決められるので、たくさん打席にたったほうがお得なんじゃないか、と最近は思っています。それでいて、ホームランも打ちたい。